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爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正昭和の話  このエントリーをはてなブックマークに追加

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/04/26(土) 09:53:43 ID:XsNLZn5k0
君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を
皆に聞かせるためのスレッド。

歴史上の有名人との接触
歴史上重要な出来事に関わった話
先祖が英雄で、身内しか聞けない話
その他、どうでもいいがおもしろい話



2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/04/26(土) 15:03:26 ID:JOYVzjNIO
憲兵がっぺムカつくて言う話しか知らん。


3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/04/26(土) 15:12:45 ID:n5E9cwAe0
逆に、左翼の男が逃亡してて、警官が一本背負いでつかまえたって
はなしきいたことがあるよ


4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/04/26(土) 15:37:20 ID:fEPNK7X3O
ひいじいさん 薩摩の人間にみんなで石投げたって言ってたよ


19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/04/30(水) 17:59:30 ID:sotQumfFO
村で殺人あっても恥だから警察沙汰にはしなかったらしい



22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/05/01(木) 21:43:18 ID:zZdFc2cRO
うちのばーちゃん今86歳だけど戦時中畑仕事していたら、
味方の飛行機が飛んで来たな~と思っていたら空襲警報がなったと同時に敵の爆撃機が頭上すれすれに飛んで来て、慌てて体一つが入るのがやっとの用水路に逃げたらしい、空襲警報は鳴るのが遅いし役立たずって言うてました。



26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/05/02(金) 07:48:05 ID:TgEUfn5lO
大正4年生まれの死んだばぁちゃんが言ってたけど
昔は日光に遠足に行くと、いろは坂は自力で歩いて登ったんだそうだ
でもその景色は格別だったって



36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/11(日) 01:24:33 ID:FoqRT2bzO
爺さんがマッカーサーに直訴した。

爺さんの友人はケネディの親族だか誰かを戦時中助けて大統領就任式に行ったらしい。

マッカーサーは案外良い人だったと言ってる。



49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/23(金) 11:33:16 ID:kbOcQeKBO
山形の婆ちゃんと銀座に行ったら
「久しぶりだべ」というので「前はいつ来たの?」と聞いたら
「前来た時はまだ進駐軍がいた」と言ってた。それは随分久しぶりだなと思った。



50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/05/24(土) 15:45:29 ID:89MTclzzO
太平洋戦争で海軍の整備兵として海に出ていた祖父(88)が
唯一してくれた戦争話

ある日甲板に出て海を見ていたら、自船に向かってくる魚雷発見
誰かに伝える間もなく「死ぬ!」と思った瞬間、
魚雷は船の下を通り抜けて遥か彼方へ消えて行ったそうだ

普段すごく気難しい祖父が「冗談のごたる(ような)話やろ」と笑ってたから実話だと思う

あと余談として
自分は嘉吉の乱で有名な家の直系(に近い傍流?)らしいが、どこまで本当なんだかw



51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/05/25(日) 00:03:29 ID:vmbiAFdX0
おれの爺さんの親父が明治天皇の詩の先生だったらしい


59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/05/28(水) 05:15:21 ID:mxYZjFHD0
うちの死んだじいちゃんは大酒のみで近所でも有名だった
田畑と酒を交換したという逸話があるぐらい

そんなじいちゃんが戦争で満州へ行った時の事
じいちゃんは仕事しないで酒ばっかり飲んでたらしい
銃弾の降りしきる中でもニコニコしながら酒飲んでたらしい
んで、日本が負けた時、中国人が日本兵に復讐を始めたらしいんだが
戦争中日本兵にひどいことされた彼らの恨みは凄まじく、日本人はかなりむごい目にあったそうな
そんな中じいちゃんだけは
「お前は戦争中も優しかった、私達に何もしなかった」って見逃されたんだと
ただ酒飲んでただけだろ~wって感じだが、ここで死んでたら俺もいないんだし
大酒のみに感謝だな

この話をしてくれたのは、当時日本語の通訳をしていた中国人のばあちゃんなんだが
婚約者がいたにもかかわらず日本兵のじいちゃんと恋に落ちて父ちゃんを産んだ
やっぱり差別とかいろいろ大変だったらしいが二人のラブラブっぷりは
孫から見てもすさまじかった
ちなみにじいちゃんは死ぬ前日まで毎日一升ぐらい飲んでた
倒れて、病院で「酒が飲みたいな~」って言葉を遺してぽっくり死んだ



67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/05/30(金) 23:32:37 ID:7h7aHTK10
俺の爺さんでも婆さんでもないが、学校の年取った先生から聞いた話。
昭和二十年の終戦の日、
先生たちの集落の人は、人づてに負けたことを聞いた(山に住んでてラジオ聞けず)。
やけになった先生たちは「米軍に殺される前に腹いっぱい食うぞ!」と決めて、
近所のきれいな川に大量の山椒をぶちまけた。
川面には大量の魚が浮いてきたので残らず獲り、とっておきの酒も引っ張り出して、
これが最後のつもりで飲めや歌えの大宴会を行なった。
その後、思ってたよりはるかに穏健な支配体制が敷かれたのはよかったんだが、
近所の川では丸一年アユもアメゴもほとんど獲れなくなり、
酒も保存食料も残らず飲み食いしたんで大いに困ったそうだ。
日本駐留前の、人々のアメリカへの恐れがわかる話だな。



72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/05/31(土) 17:51:18 ID:fvN8z0/l0
中国で戦ってきた祖父が、「チェコ機銃」の優秀さをよく称えてたな。
中国兵からの分捕り品だけど。
「日本のやつよりずっと丈夫で、機能もいいんだ。鉄がいいんだろうな」と言っていた。



75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/01(日) 20:00:14 ID:LwbScPVc0
>>72
ZB26(チェコ・ブルーノ1926年式)軽機関銃な。
壊れにくく命中精度が高く価格は安く、大勢の日本兵がこれにやられた。
日本軍もチェコから買えばいいのに国産にこだわって、
火力で劣る上に、戦場では故障続出でまったく使い物にならず。
今の自衛隊も、特に機銃に関しては70年前と全く同じ状況で、
馬鹿高いのに粗悪ですぐ故障する国産品に、自衛隊員は戦々恐々。
守屋みたいのが兵器を選んでバックリベート貰ってるんだから、
当然そうなるけどね。


76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[123] 投稿日:2008/06/05(木) 03:01:26 ID:RRVXsuHv0
そんなに国産銃ってだめなの?


79 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/05(木) 17:01:52 ID:Qs9uIhBh0
>>76
陸自で30年以上も主力を務めた国産の62式機関銃が隊員泣かせの欠陥品として有名だったなあ。
故障が頻発したのに、抜本的な改善が最後までされなかったのは、
旧軍からの伝統なのか、自衛隊が戦闘を全く想定していないからなのか、
調達本部の役人がワイロ貰ってたからなのか、俺にもよく判らない。

今ではベルギーFN社のベストセラー機銃「MINIMI」のコピーに切り替えているが
例によってライセンス生産で、本物のMINIMIと違って、相変わらず故障が多い。
自動車や家電品と違って競争がないし、自衛隊員が「国産のMINIMIは欠陥品だ」と
マスコミに言ってしまうと、軍事機密を暴露した罪で軍法会議だから、改善される見込なし。
戦場で1丁の機関銃が故障したら、一個連隊が危機に瀕する事もよくあるんだが、
そういう危機感は日本の防衛省には全くない。そのへんの体質は旧軍とそっくり。



94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/08(日) 23:35:38 ID:uABkzbMX0
俺のじーさんは戦争時、満州(かなりの内地の方)に行ってたんだが、
とにかく食べ物が無くて困ってたと言ってた。
仕方が無いので数人で犬を食ったらしいが、上官に見つかり
体罰と一週間ほどの牢屋監禁だとよ。
かなり、厳しかったらしい。



95 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/06/09(月) 00:18:34 ID:/rr11WOH0
明治44年生まれの婆ちゃんの話
満州からの引き揚げのとき、ソ連兵に後ろから銃を突きつけられて脅され、
結婚式のときの着物を渡したら、両手でたぐるように巻き込んで持って行かれたらしい。
実家は酒屋でそこそこ裕福だったから、上等な着物だったのではないかと思われる。



97 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/10(火) 10:51:46 ID:TdI8Zmdh0
爺ちゃんから聞いた話。小中学校に配属将校がいて生活指導や教練やるらしい。
基本的に予備役の年寄り将校が来てたから、教練といっても大した事もなかった。
でも太平洋戦争が始まると現役バリバリの若い将校が赴任して来て、
「気合が足らん!」「なんだそのへっぴり腰は!」とか言って、
金属製の指揮棒でぶん殴られるから、もう死ぬかと思った。
指揮棒で殴られて意識を失う同級生が続出し、教練の時間はただ恐怖だけだった。
配属将校に酷い目にあった同級生のかなり多くが、戦後に共産主義に走ったのは、
気持は分かる、って言ってた。


98 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/06/10(火) 11:01:57 ID:8gyLU2zn0
祖父ではないが知り合いの社長さんの話

戦争当時15~6歳だったらしいんだが、さとうきび畑に仲間4人で
隠れてるところを米兵に見つかって捕まったらしい。
でもその米兵がトイレかどこかに行っている隙に、そいつの拳銃を取って
自分達の弁当箱の中に隠したんだって。もちろんそれに気付いた米兵は
「俺の拳銃をとこにやった!?」って怒り狂ったらしいが
みんな怯えながらもシラを切り通した。
それでホロ付きのトラックの荷台に乗せられて連行されることになったんだが
その荷台にアメリカ製のタバコが山ほど積まれていたらしく、興奮した4人は
そのタバコを荷台からどんどん道に投げ落としていって、最後は自分達も走っているトラックの荷台から
飛び降りて、点々と落ちているタバコを拾いながら帰ったんだって
この社長さんはいつもいろんな体験談を話してくれるけど豪快さが半端ない



104 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/10(火) 20:29:32 ID:9FCcmiotO
4年前に86で亡くなったウチの祖母。
戦争が激しくなる前は喫茶店に行くのが好きだった。何故か防空壕に入ると「ああ、またレモンをいれた紅茶と、トーストにバターとジャム両方塗ったのが食べたいな…」と毎回のように思っていたそうだ。
現在と余り感覚変わらないかも。



105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[123] 投稿日:2008/06/10(火) 22:32:06 ID:PazKWA8H0
士族だったひいじいちゃんは手裏剣が上手で年取っても庭に来るスズメや
鳩を仕留めては家族に怒られていたらしい。手裏剣の下手な侍は修行に
出たときにひもじい思いをするってよく話していたらしい。



124 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/06/12(木) 20:06:09 ID:02UxDkGGO
タイムスリップして若い頃の祖父母に会ってみたい
俺はあなたの孫ですって言っても信じてもらえないだろうけど



127 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[123] 投稿日:2008/06/12(木) 23:21:50 ID:ISlZJNIA0
明治の頃は女性も時々道で「立ちしょん」したって昔ひいばあちゃんが言ってた。
どうやってやったんだろう。でも明治になって外人が来て確か政府は切り鼻と
女性の路上放尿をやめるように通達したとかって話しがあるから本当だったんだろうけど



148 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/06/23(月) 01:03:00 ID:LQx6tOoiO
戦争の話しも。空襲警報を聞いて防空壕に逃げたけど鮨詰め状態で押しつぶされて亡くなる人も居た。凄い音と揺れで防空壕が潰れた所もあって中に居た人が土砂に埋まった。あの音と光景は目に焼き付いて離れないらしい。鉄作ってるから狙われたみたい


149 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/23(月) 12:58:25 ID:roEqZzSj0
爺ちゃん曰く、空襲の際に防空壕に入っていたら安全でもなくて、
焼夷弾で大火災が起きると、壕の中で蒸し焼きになってしまうから
防空壕を脱出する判断が難しかった、とのこと。
早く出過ぎて機銃掃射を受けて死んだり、逃げ遅れて防空壕の中で
蒸し焼きになって死んだ人も多かったって(直接の死因は酸欠だろうね)。
壕で蒸し焼きになった遺骸は、そのままの形で出てくるので、
まるで仏様みたいで、皆で読経しながら運び出したと言ってた。



151 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/25(水) 14:53:16 ID:wBoI9xxl0
80才のうちのばあちゃんが第二次世界大戦中に
吉祥寺の在郷軍人(陸軍中将)さんの家で奉公してたときの話。

空襲にそなえ、隣の組が消火訓練をやりだした。
奥さんは「隣組が始めたのだからうちの組もやらないと」と中将さんに言ったが
中将さんは「そんなことはやらなくていい」と取り合わなかったそうだ。
軍人としての自覚があるから決して口にはしなかったけどアメリカとの戦力差を知ってて
そんな小さな努力は無駄なことだとわかっていたっぽい。

そのことに奥さんが怒って実家に帰ってしまい、そこの娘さんとばあちゃんは
一大事と大変オロオロしたそうだ。奥さんすぐに戻ってきたけど。

圧倒的戦力差が分かってた中将さんはどんな気持で日本をみてたんだろうと考えると
少し切なくなる…



152 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/06/26(木) 00:19:50 ID:qKLfm4fO0
戦前の軍隊のいじめは酷かったらしい。それでいじめられていた新兵は
実際の戦闘が始まるのを楽しみにしてたんだって。
「弾は前からばっか来るわけじゃねぇ」って。 おじいちゃんのはなし


174 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/06/27(金) 23:25:09 ID:5VUwVDbu0
母方の爺さんは戦時中の最後に徴兵された人の中の一人で満州に行ったそうだ
で、ろくに戦闘も起こらぬまま即武装解除でシベリアへ強制連行、あまりに過酷だったらしくカマキリとか食ってたらしい
その時のロシア兵の馬鹿さ加減を笑ってたな、時計を水洗いしたとか
父方の爺さんは成田空港某闘争の時に左翼とか絡まずにただ百姓という身分で300人くらい纏め上げて県庁に直訴しにいった
百姓軍団が耕運機で県庁まで直訴しにいったもんでそりゃまぁ凄かったらしい、仲間が興奮しすぎて竹やりで県庁のガラスぶっ壊したりしたらしいし
その後国会に証人として呼ばれて、その時の国務大臣徴発して一触即発になったとか
親父の話によればその頃は殺気の篭った目をした右翼が家の周りに複数いたとか言ってたな
爺さんもサラシ巻くくらいの覚悟だったらしいし、とにかくその頃の百姓の気迫は凄かったらしい
そういやハマコーとも知り合いだとか言ってたな
でもその後の三里塚闘争は結局左翼主導になっちゃったからなぁ・・・



215 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/06(日) 09:19:46 ID:VSQeuws90
俺は33歳だが、小学生の時怖い祖父ちゃんに聞いた話。
俺の祖父ちゃんは大正13年生まれで戦争の時は大陸に行ってた。
どこの部隊に所属していたとかは知らないが、一等兵だった。
中国の部隊と戦闘して「首の後ろを弾丸がかすり、跡が残っている」と
俺に見せた。確かに筋の様に残っていた。
また、子供心に衝撃だったのは「言う事聞かない中国人をブチ殺した。」
祖父ちゃんが直接手を下したのか、それとも見た話なのかは解らない。
ただ、「中国兵」でなく「中国人」と確かに言った。民間人か?

でもまあ祖父ちゃんが生きて帰ってきたから、母ちゃんも生まれ俺も生まれた。
その祖父ちゃんは14年前70歳で逝った。もっと聞いとけば良かったな。
祖父ちゃんの母ちゃん、俺の曾祖母は俺が小学生まで存命で言っていた。
「○○は戦争に行く前はおとなしい子だった。帰ってきたら人間が変わっていた。」



218 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/06(日) 12:56:17 ID:YMmfpI1p0
>>215
>「言う事聞かない中国人をブチ殺した。」

中国の工作員か?w 中国人らしいミスだなw

俺の爺ちゃんも婆ちゃんも、氏ぬまで「シナ人、シナ語」だったよ。
「中国」なんて、爺ちゃん婆ちゃんの口から聞いたことがない。

> どこの部隊に所属していたとかは知らない

ありえない。爺さんの原籍ぐらい、家族なら誰でも知ってるだろ。



220 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/06(日) 23:03:05 ID:YaChPulvO
>218
いや、俺の爺さんも大陸で戦ってたが、中国と言ってた。多分シナと言っても分からんからじゃないか?
あとぶち殺した下りは似た話を俺も聞いた。
食料を民家から集める時の話だったな



222 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/07(月) 02:10:59 ID:jMdTAKMS0
>>220
爺さんは北支で戦ってたが、相手を八路軍や国民党軍と言ってたなあ。
「中国軍」とは言ってなかった。まあ「中国軍」なんて存在しないけど。
膨大な住民の海の中で、占領している日本軍なんて米粒のような存在だから
住民を敵に廻さないように苦労したが、終戦後、村長を筆頭に大半の住民が
張学良のシンパで、日本軍の情報が国民党軍に筒抜けだっただけでなく
米軍の中国系兵士が工作員として村人に混じっていた事も判って
「騙された」と悔しがっていた。



244 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/09(水) 00:17:57 ID:Hqk0sivm0
母子家庭だった父の友人が大戦末期に特攻隊に志願し亡くなったそうです。
あとから思うと随分と悩んでいたのかふさぎ込んだ様子を見せていたそうですが、
国のために自分は死ぬと。

そのお母様は何かと父を頼り時にかなりのお金を無心したりもしていました。
事情を知らない私たち家族は赤の他人に、とちょっと腹立たしく思っていましたが
父が死ぬ直前にその話を聞き、恥じ入った次第です。父の死後仏壇を整理していたら
おそらくその方のものと思われる寄せ書きのようなものが出てきました。
もっていかないで父に渡したのでしょうかね。

こんな話、おそらく山ほどあるんだと思います。すいません、スレを汚しまして




262 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/09(水) 20:58:27 ID:LDoClruk0
小さいころ、祖母(明治後半生まれ)をしたっていて
毎晩お風呂の後は、祖母とお話ししてた
時にはいとこたちと一緒に話をきいた
当時の話

戦後、飼ってた犬を朝鮮人にさらわれたあげく食べられた
戦後、朝鮮人の泥棒、恐喝、などが多発、とにかく怖かった…など

朝鮮人エピソードが多く、すっかり今の私はネット右翼です



347 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/17(木) 15:13:35 ID:83p/Lt0Z0
爺ちゃんと婆ちゃんは、マッカーサーに田んぼを取り上げられた話をよくしてたなあ。
もし自分で耕していたら1haだけは取り上げられなかったので、
急遽家族で田んぼやる事になったけど、やったことがないから要領が分からなくて、
元小作人に聞いても誰も助けてくれなくて、仕方なく家業の従業員にやらせたら、元小作人に
農地委員会に密告されて、1haも取り上げられそうになったとか、そういう話。
家族で慣れない米作りして、必死で守った5枚の田んぼも、
この数年で伯父さん伯母さんが相次いで亡くなって、もう完全放置状態。
従兄弟もみんな東京に出てきちゃってるし、どうしようもない。



349 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/17(木) 15:29:36 ID:dZIeKyrl0
>>347
マッカーサーに返したら?


361 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/17(木) 22:46:53 ID:1EvlsaNZ0
西南戦争の時、ひーばあちゃんの家に西郷隆盛が泊まりに来て
お礼にナギナタと鉄砲を一本ずつ置いていったんだって。
この話聞いたときびっくりして、思わずソースきぼんぬって言いそうになった。
ちなみにそのナギナタと鉄砲は、第二次世界大戦の時に兵隊に回収されたんだと。
ハナクソみたいな金属が当時の日本には必要だったんだな。



366 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/18(金) 18:25:56 ID:gdb7sxit0
>>361
曾婆さまが西郷さんをスケッチしていればもっとすごいよね。
写真なら教科書の肖像画がびみょーに違ったんだろうな



376 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/20(日) 22:55:01 ID:10OvOpxs0
戦前までの半島系の方の生活はそれは酷かったそうな。
はっきり言うと今のホームレスのかたがたが集まって暮らしているような状況だったとか。

旧い世代の人に半島差別をする人が多いけどそれもしょうがないんだ、それくらい
彼らは貧しい人たちだった。

と言う話を知り合いの大正生まれのおじいさんが話してた



377 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/07/21(月) 14:04:32 ID:un5kyrqa0
俺が子供(4~5歳)頃、明治生まれのばーちゃんが
「日本勝った!日本勝った!ロシア負けた。ロシアの弱いやつ、また負けた」
なんて歌を歌ってたのを思い出した。
ばーちゃんが娘のころ聴いた日露戦争の歌か?



382 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/24(木) 20:15:25 ID:ODp3nOcT0
>>377
ウチのばーちゃん(1901年富山県生まれ)も、歌っていましたよ。
日露戦後後の1905年~1906年にかけて、大ブレークしたのかも?



394 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/25(金) 21:56:47 ID:gkb9qrB10
しりとり歌にこんなのがあったぞ

陸軍の 乃木さんが 凱旋す すずめ めじろ ロシヤ 野蛮国 クロパトキン きんたま マカロフ ふんどし しめた 高シャッポ ぼんやり (最初に戻る)



431 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/08/03(日) 02:12:52 ID:J3MkAqrL0
 
大叔父は若いときに招集されて、中国大陸で戦闘に明け暮れた。
敗戦後、復員し、思い出したように当時のことを話した。

そのひとつ:
 
功を焦って、無謀な作戦を企てる上官がいると、全滅を恐れる部下が密かに始末した。
そこはよくしたもので、たいていどこの部隊本部にもベテランの事務担当がいて、
てなれたやりかたで、「名誉の戦死」 にしたてて、内地へ報告した。
 
「どこそこの部隊で上官が戦死」 といううわさは、展開する各地の部隊にただちに伝わり、
「さては、やられたな」 と兵士同士でささやきあうものだった。
 
軍隊の裏のしきたりをよく知った上官は、無謀な戦闘は極力避けた。
強い敵には、遭遇せぬよう迂回し、
もっぱら、弱い敵だけを襲わせ、後方に戦果を誇大報告した。
 
日中戦争の戦史で 「一部隊全滅(玉砕)」 という事例が少ないのはこういう事情による。



432 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/08/03(日) 03:26:38 ID:4YuBHNCK0
大正生まれの祖母は生粋の沖縄人なんだが、いいとこの娘だったらしく
戦争前に京都へ家族で非難し沖縄戦の経験はないらしい
日本は負ける・沖縄地上戦の情報は知ってる人は知っていたみたいで
事前に逃げた人が大勢いるってことを大人になってから知り
何も知らずに死んでいった方たちの無念さを思うと苦しい



437 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/04(月) 22:22:23 ID:YccsTc6FO
憲兵が来ると、やたらと食料品を持っていくので、
子供に食べさせるお菓子だけは洋服ダンスにしまっていたと
祖母から聞いた。
とにかく憲兵が嫌いだったらしい。
でも軍歌とかはバンバン歌ってた。



438 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 13:44:29 ID:HH+rV9fd0
徴兵され、陸軍二等兵としてスマトラ島(インドネシア)へ送られた祖父の話。

田舎の一本道を輸送車両で走っていると、荷物をたくさん背負ったお爺さんが歩いていた。
上官から「原住民とは仲良くやれ」と言われていたので、
そのお爺さんと荷物を軍用トラックで、途中まで送ってやったという。

数日後、同じ道を走っていると、例のお爺さんが道端の木陰に座り込んでいる。
運転席に祖父の顔を見つけると、ニコニコ笑いながら近づいてくる。
(また、乗せてくれか。今日は軍事物資積んでいるし、他の兵士も同乗しているからなぁ・・・)
と困惑していると、何十本ものバナナの山を差し出した。

言葉は何を言っているのかわからないけど、「先日の礼だ、受け取ってくれ」ということらしい。
バナナを荷台の隅へ積むと、お爺さんは、満足げに村の方へ戻って行った。
いつ来るとも知れぬ祖父が通りかかるのを、毎日道端で待ち続けていたということだ。

長文、スマソ


439 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 18:21:19 ID:cJZGBp9G0
ええ話や


441 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 20:08:27 ID:XlEMghG80
旦那のばあちゃんに聞いた話。
子供の時関東大震災を横浜で体験したそうですが、
大人たちが竹やりを持って井戸の周りを警護してたそうです。
朝鮮人に毒を入れられるという噂があったから。
教科書で読んだ震災時のデマ騒ぎって本当だったんだと実感。



490 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/20(水) 02:07:33 ID:pD5xHnsd0
ウチの爺さんは雪風に搭乗してたが、観光気分で戦場に行って観光気分で復員した
稀代のポジティブ軍人だったみたい。
そこに酒があれば同期の士官、下士官、一兵卒を集め同期の桜を歌って盛り上げてたらしい。



493 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/21(木) 21:45:59 ID:ui89i4cPO
雪風って戦艦大和の沖縄水上特攻作戦にも参加して、ほぼ無傷で帰還して…戦後連合国から表彰されたというあの雪風ですか!

昔プラモデル作ったですよ… スゲエなあ‥。



550 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/30(土) 18:21:29 ID:P7dR2X/g0
うちの祖父が戦争で南方に行ってた時の話。
そこでは戦況も厳しくなく、食事もおはぎやバラ寿司なんかが出て
甘い果物のおやつもあるし、気候は温暖だし(祖父は冷え性だった)
食料の乏しくなっていた国許よりよっぽど過ごしやすかったそうだ。

戦後も地元の人たちは「ニッポンジンはトモダチ」と言って
鶏を分けてくれたり、封鎖されてる橋を渡らせてくれたり
なにかと日本兵に親切にしてくれたらしい。

もう亡くなったけど、ボケてからは1日中その南方での話ばかりして
家族みんなウンザリしてたからあんまりちゃんと聞いてなかった。
今、歴史に興味を持つようになって、爺ちゃんの話もっとちゃんと聞いていればよかったなと思う。




591 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/09/07(日) 01:58:48 ID:uunwshI3O
俺の爺さん、大学時代に警察に捕まって一週間位放り込まれてたな
理由は同期にアカの疑いがあり、親しくしてたので巻き添えくった。無実は証明されたけど本当不安だったと言ってた
その後、満州国の今で言う国1に受かったけど、卒業半年繰り上げで戦争行って、帰ってきたら満州国無くなっててパー
日本の公務員でなんとかならないか掛け合ったけど駄目だった
当時は満州へ満州への時代で、結構仕事先として人気があったらしい




594 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/09/07(日) 17:18:46 ID:1EVH2cRN0
祖父は大正三年生まれで徴兵の時は山砲に配属され満州に駐屯していた。
太平洋戦争では国鉄から技師として派遣されてビルマ、シンガボール、クアラルンプルに行った。
特にビルマに長くいたが国鉄の技師なんだから戦場にかける橋で知られるタイメン鉄道の建設に関わっていると思う。
敵機に追われて逃げたり、小象に追われて川を泳いで逃げたこともあったと俺が子供の頃に聞いた。



653 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/09/12(金) 15:05:27 ID:MTHNe00T0
うちの曾爺さんは第一次大戦時の鉄鋼特需にうまく乗って巨大鉄工所の経営者に成り上がった所謂「成金」で
戦前は某国鉄駅の周囲はほとんどうちの土地だったという。
爺さんは5人兄弟の末っ子だが家業につくのが嫌で若いうちから軍隊に入って台湾に行ってた。
鉄工所は爺さんの兄貴が継ぐ予定だったのだが次から次に兵隊に取られて前線に送られて戦死。
早いうちから台湾に行ってたうちの爺さんだけが生き残ってしまい、鉄工所を継ぐことになるが
やはり経営は向いてなかったようで戦後の混乱期にあっさり潰してしまい、当時発足したばかりの自衛隊に入ることにする。
それまで「お坊ちゃま」として育てられた俺の伯父は没落でひねくれてしまい爺さんへの反抗なのか、学生運動に身を投じる。

という歴史の全貌を知ったのは爺さんが死んだときだった。
平凡な家と思っていた自分の一族にこんなドラマがあったと知って吃驚した。
爺さんが台湾にいたときの奥さんと子供と孫(おれの従兄弟)が出てきたときにはさらに吃驚した。



754 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/09/21(日) 19:14:06 ID:xO/M9hWn0
ネガティブな昔のことは語りたがらないうちの婆ちゃんが唯一語ってくれたこと

消防のときサヨ教師から洗脳授業を受けて「農民は虐げられていた」見たいな事を話してたら
「百姓ほど賎しい人種はいない」と祖母にしては珍しくきつい事を言い出した
話を聞いてみると戦時中疎開していたときのことを話してくれた
世話をする女中1人だけ連れていったらしいんだけど、周りの百姓が足元を見て米を譲らない
挙句には持参した着物や空襲から避難させる為に持ち込んだ掛け軸や茶碗等の骨董品を全て取り上げられた
毎晩女中さんと2人で抱き合って泣き、そのときの悔しさは忘れたことがないと言っていた
その女中さんの孫娘が家のお手伝いさんを住み込みでしていたのは、同じつらい目にあった者同士だから
とも言ってた。家からお嫁に行ったので相当思い入れもあったのは本当らしい
よく考えてみれば「落ち武者狩り」とか嫌らしい事をアルバイト感覚でするのは農民だったよね



755 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/09/21(日) 19:54:34 ID:qNQ2cbpA0
>>754
極端から極端に思考が走る人だなあ。
金持ちにも貧乏人にもいい奴もいるし悪い奴もいるってのが世の中さ。
お祖母さんには同情するけど。



756 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/09/21(日) 20:17:51 ID:ghEdx/H30
要するに戦争前は金に任せてぶいぶい(死語)言わせてたのが
戦争で羽振りが悪くなったら百姓ごときに足元見られちまってくやしい~って話でしょ。

戦争前は金持ちやろうが威張りくさってて百姓が悔しい思いしてたんだからお合い子じゃねえの?



778 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/09/26(金) 14:10:58 ID:YuAohCOS0
祖母から聞いた話

仕事を求めて日本にやって来た朝鮮人を下男として使ってたんだけど
まじめに仕事をする日本人と違って、すぐサボったり妙に卑屈な態度を取ったりして評判が良くなかった
ある時曽祖父の時計を盗もうとしてすぐ捕まり警察に突き出そうとしたが
地面に這いつくばって泣き出し許しを請うので、ついそのまま家に置いてしまった

戦争になり、書生さんや若い日本人の使用人は次々出征してしまい
使用人の男性は昔からいるおじいさんとその朝鮮人だけになった

日本の敗戦が決まり騒然とする中、その朝鮮人は家の中を物色し金目の物を盗んで逃げた
「昔盗みをしたとき叱り付けられたことを根に持っていたいたようだ」と
朝鮮人の犯行を止めようとして殴られ怪我をした、使用人のおじいさんが言っていたそうだ



842 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/10/22(水) 06:51:38 ID:juXV2UZmO
流れ豊かな黒龍江の岸の茂みが我が住みか 水を鏡に髭面剃れば満州娘も一目惚れ。この「流沙の護り」がじいちゃんの愛唱歌だったなぁ あと北国の春。爺ちゃんは三度兵隊に行き部隊名も書き残しているのでいつかゆっくり調べたいと思う。

ちなみにじいちゃんな弟は蒼龍に乗ってミッドウェーに出撃し戦死している。
艦爆乗りだったとか…

戦後生まれた三男に爺ちゃんは同じ名前をつけた  
        (;_;)


847 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/10/23(木) 03:43:57 ID:D5aO7ZF8O
シベリヤに抑留されていた、じいちゃんの話。   
シベリヤでは年配の人は体力的に持たず、逆にあまり若いと精神的に持たなかったとのこと(祖父は当事三十前後) 

だれかが亡くなるとお供えものをしていたがあくる朝には必ず失くなっていた。
日本人にくらべてドイツ人のほうがひどい目に遭っていた。

じいちゃんも一度高熱をだして死にかけたが、死ぬかもしれないが飲んでみるかと謎の薬?を人からもらい命を取り留めた。

鉄道作業の帰り道端に芋が落ちていたので大喜びで持ち帰り煮てみると、馬か何かのフンだった。

蒙古の兵隊はすぐに何かくれとうるさかった。

もっと色々聞いて書き留めておけばよかったなぁ



848 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/10/23(木) 15:31:36 ID:jtAV5wNi0
>>847
>死ぬかもしれないが飲んでみるかと謎の薬?を人からもらい命を取り留めた。

これすごく気になる




852 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/10/24(金) 03:50:53 ID:V40V81VHO
>>848 そうですね。俺もすごく気になるんだけど 今となっては聞くことができない。ただ、じいちゃんもよくわかってはいなかったのは確か(笑)でもかなり劇的に治ったらしい。 


それ以後は命の恩人とゆうことで何かと、そのくれた人を立ててあげたんだって 

もし、じいちゃんがその時に、力尽きていたら俺も生まれていなかった訳だから俺もその人に感謝! 

追加


武装解除の前にじいちゃんはソ連機に襲われ足を負傷した。ソ連機は旋回してまた襲ってきたので近くに生えていた白樺の木に隠れて難を逃れた。 


この白樺の木にも感謝! 
ちなみにソ満国境の孫ゴというところにいたみたい




850 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/10/23(木) 23:12:43 ID:Up7kIsFMO
ばあさんの故郷四国の小都市でも軍港があったからよく空襲に遭ったらしい。
普段厳格なばあさんの父親も焦って枕を持ち出して逃げだそうとしたそうな。焼夷弾が屋根を壊すバリバリバリって音が今でも耳に残るとかそんなことをよく話してくれます



851 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 02:32:35 ID:vmgyjB8U0
内地の話は悲惨ですな…

祖母は結婚とともに満州に渡って、戦後はシベリアから祖父が帰ってくるまで
祖父の実家の農家で数年暮した。話を聞いて印象に残ったのは
・百姓は凄い量の飯を食べること。
私は「農民は貧しい」って思ってたが肉体労働なんだから当たり前かな
・戦後すぐまで夜這いがあったこと。

歴史上の有名人との接触は、山本五十六の奥さんが祖母の実家の近所に住んでいた。
三橋牛乳屋の娘で祖母いわく美形一家だった。



853 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/10/24(金) 04:08:12 ID:Y+7Jb+ilO
俺の祖父は青島の部隊に配属されてたらしいが、戦時中にも関わらず食い切れない程大量の食事が出ていたらしい。
前線や内地とは偉い違い。


909 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2008/12/17(水) 18:05:13 ID:MpHrW/LB0
曾ばあ様は5歳のとき、近藤勇に頭をなでられたそうだ。口のでっかい男だった
そうで、怖かったと語ってたそうな。



950 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/04/09(木) 17:04:56 ID:s7A6bDfjO
>>909
ひいばあちゃんが親(自分の曾祖母)から聞いた話。

近藤勇は女子の間でモテていたらしい。
どこまでモテモテだったから分からないけど
彼に会ったり座敷で相手した女性は羨ましがられていた。

京都の三本木というところで過ごした頃の話。



951 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/04/09(木) 23:02:23 ID:IKCN6ieF0
幕末は飲み屋が面倒だったらしい。酒の上での喧嘩は今でも多いけど
それが侍だとすぐに斬り合いになるので店の被害も大きかったと。
片付けしてると指が落ちてたり耳とかほほが転がったりしてたそうな。

ばあちゃんのばあちゃんのばあちゃんの話





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幕末の写真を適当に着色してみた
歴史を学ぶ最大の理由とは何かを考えるスレ
[ 2009/07/19 07:00 ] 未分類 | トラックバック(-) | CM(186)
    もっと話しとけばよかったなぁ
    [ 2009/07/19 07:26 ] -[ 編集 ]
    戦争とは関係ないけど、うちのばあちゃんが女学校に汽車で通学してたらしいが、当時は車両が男女別だったらしい。
    …で、男子はやはり女子が気になったのか、走ってる汽車の窓から長い紙を(コイノボリみたいな感じで)女子が乗ってる車両に届くようにイタズラというかアピールしてたみたいだ。
    [ 2009/07/19 07:27 ] -[ 編集 ]
    話をしてくれる爺さん婆さんが子供の時に
    その爺さん婆さんに話をしてもらってた話は
    もう江戸時代の事になるわけか
    [ 2009/07/19 08:06 ] -[ 編集 ]
    >>59
    なんかその話、死んだ爺ちゃんから聞いた事あるぞ。
    うちの爺ちゃんも酒大好きで、いつも仲間3人で
    酒飲んでたって。
    もしかしたら・・・
    ただ、途中で爺ちゃんは撃たれて帰国しちゃたんだよな

    爺ちゃん曰く、現地の人間から教わった麻雀がとても面白く
    帰国するとき麻雀セットを貰って返ってきたんだそうな。
    今じゃ、家宝扱いだ^^
    [ 2009/07/19 08:33 ] -[ 編集 ]
    サハリン(いまのカラフト)生まれのサハリン育ちの爺ちゃんなんだけど、
    「露助とシナ人は沢山居たが、使えないから、
    精肉所ぐらいしか働く所がなかった」って言ってた。
    原文まま。

    真偽はわからんが、露助とシナ人いう言葉を、生で初めて聞いたwwww
    [ 2009/07/19 08:40 ] -[ 編集 ]
    あ、ごめん。いまがサハリンで昔がカラフトだ。
    あとばーちゃんが、戦時中食い物がカボチャしかなくて、
    それしかないんでそれだけを食いまくってたら、
    体が黄色くなったといってた。

    これって本当なのかな?
    [ 2009/07/19 08:44 ] -[ 編集 ]
    *6
    栄養失調はそうなる

    俺のじいちゃんのお兄さんは戦闘機にのって風になったそうだ。
    [ 2009/07/19 09:03 ] -[ 編集 ]
    オーラルヒストリーだなあ。
    文書史料も大事だが、こういうのも大事だよな。
    [ 2009/07/19 09:10 ] -[ 編集 ]
    こういう話はすごく面白い
    歴史が実感をもって迫ってくる感じというか…
    死んだひいじいちゃんとかに生で話聞いてみたかったなあ…
    [ 2009/07/19 09:18 ] -[ 編集 ]
    ※6
    食べ物の色素のせいで、体の色が変わる。と言うことはあるらしい。(超極端な偏食で、皮膚の色が変わったりとかも)

    別の原因で肝臓を悪くしていれば、黄疸(おうだん)が出て顔(と言うか皮膚)が黄色く変色することもある。
    なので、本当にあった話だと思う。
    [ 2009/07/19 09:19 ] -[ 編集 ]
    >陸自で30年以上も主力を務めた国産の62式機関銃が隊員泣かせの欠陥品として有名だったなあ。
    >故障が頻発したのに、抜本的な改善が最後までされなかったのは
    62式「今でも後継機関銃はありませんが、なにか」
    MINIMI「国産にこだわって低品質ですが、なにか」
    84mm 「国産にこだわってお値段が十倍ですが、なにか」

    自衛隊の装備、こんなんばっかり
    高い、性能は並かそれ以下、調達性極悪

    石破茂「組織、調達を改革し自衛隊を現実的ものにすべき」
    内閣 「テメーの(防衛大臣の)席ねーから!」
    [ 2009/07/19 09:23 ] -[ 編集 ]
    俺も実家帰ったら爺ちゃん婆ちゃんに話聞いてみよ
    [ 2009/07/19 09:27 ] -[ 編集 ]
    中国からの引揚者の人を知っているが、
    ロシア軍に追われてたのを八路軍に助けられて、って言ってた。
    ロシア軍→こわい、八路軍→一応味方、みたいな感じだった。
    興味があるからくわしく聞きたいんだが、思い出さない方がいいことも
    思い出させてしまいそうなのがいやなんだよなあ。
    [ 2009/07/19 09:31 ] -[ 編集 ]
    215の話は
    中国って国名は戦後に出来たものだから、
    生粋の戦中世代なら「中国人」て言うのは
    ちょっと不自然だな。
    [ 2009/07/19 09:35 ] ODP4o7WM[ 編集 ]
    俺のじいちゃんは14のとき予科練に言って、訓練中に戦争が終わっちまったから戦闘を経験してないんだよな。
    唯一命の危険を感じた出来事は、レーダーを二人がかりで戦闘機に積み込もうと運んでたら、突然米軍の戦闘機が襲来。
    レーダーほっぽり出して慌てて同期の奴と地面に伏せたら、自分の顔スレスレのところに弾丸が着弾したんだと。
    幸いにも弾丸は一発も当たらなかったらしいが、死ぬほど怖かったって言ってたなぁ。

    今ではパソコンを使うようになり、俺と毎日メールのやりとりしてます。
    [ 2009/07/19 09:36 ] 9L.cY0cg[ 編集 ]
    俺の爺ちゃん。偉い人の世話をする係になったが結構ヒマで
    時間を持て余し、つまみ食いしようと目論んで食事を準備する
    係に潜りこんだそうだ。
    ところが物凄い忙しさと重労働でつまみ食いなどできず、
    来るんじゃなかったと後悔していたら「○○!こんな所で何を
    しておるかー!!」と見つかってしまった。けど見つかって
    嬉しかったとのこと。
    [ 2009/07/19 10:23 ] -[ 編集 ]
    婆さんの父親が技術将校だったらしく、家には常時護衛か何かの兵隊が詰めてたらしい。戦前にイギリスに技術習得のために留学してたとか何とか。
    家には迎えの自動車が来てたけど、戦争が終わるころにはその車もどんどん等級が落ちてたそうな

    で、終戦後、アメリカ軍による将校狩りが起こると予想した曾爺さん、家族連れて懇意にしてた山奥の村に移住して戦後ちょっとの間はそこで隠遁生活したらしい

    ほかの親族は原爆のキノコ見たり大陸渡って師団本部勤務の事務員やったり戦艦の艦橋でなんかしてたりしたらすぃ
    山本五十六の直属の部下だったとかなんとか
    [ 2009/07/19 10:26 ] -[ 編集 ]
    じいちゃんは戦時中東南アジアに行ってたらしい
    日焼けしまくって現地人と間違われるくらいだったらしいw
    海兵だったんだが、海に爆弾落として魚とか獲ってたんだと
    イカが好物だったけど、毎日イカばっか食ってたから嫌いになったらしいw

    戦闘で亡くなった友人を泣きながら海に流したりもしたと言ってた。

    じいちゃんは今もめっちゃ元気だが、長生きしてほしいなぁ
    [ 2009/07/19 10:39 ] -[ 編集 ]
    爺さんは斥候から帰ったら味方に誤射されたと愚痴ってたな
    気の短かった爺さんは怒りのあまり反撃してしまいそうになったけど、仲間に小銃掴まれて反撃できなかったとかw

    婆さんら女子はたまに工場に現れる海軍将校がカッコよかったんでソレが楽しみだったらしい
    [ 2009/07/19 10:46 ] -[ 編集 ]
    これ、うちの婆さんが入院してたときの話なんだが
    食堂で缶コーヒー飲んでたら、いきなり隣に座ったボケた爺さんが
    いきなり戦争の話し始めたんだ。

    その爺さんはどこか分からないが東南アジア方面に行き
    三十八式抱えて米軍とも戦ったし、疫病で仲間も死んだと語ってた。

    だが、一番本当なのだが信じれなかった話は・・・
    その爺さんの額には幸い、ヘルメットで銃弾が防げて
    撃たれた部分が凹んで済んだ跡が残っている。

    あの爺さん元気してるかな・・・
    [ 2009/07/19 10:46 ] -[ 編集 ]
    戦場では敵がどこにいるかわからないから
    銃をとにかくぶっ放す。だから同士討ちが絶えなかった。
    って爺ちゃんが言っていた。
    [ 2009/07/19 11:38 ] -[ 編集 ]
    亡くなった祖父は海軍に志願し空母「あかつき」に配属され各地を転戦したが、米軍との戦闘でひざを機銃で打ち抜かれ負傷、乗艦も撃沈されてしまう。一人海を漂い続けていたところ幸いにも通りかかった味方の巡洋艦に救助され、終戦を迎えた。毎年終戦記念日になると軍歌のレコードかけながら傷の後を見せてその話を聞かせてくれた。因みに祖父の兄は陸軍兵長として大陸で戦死している。そんな血筋を受け継いでか孫の自分が選んだ職は陸自。今年で10年目です・・・
    [ 2009/07/19 11:44 ] PooosTlY[ 編集 ]
    爺さんが10くらいの頃に友達と川で遊んでたら機銃掃射されたっていってた。
    川に潜って何とかやり過ごしたらしいけど。

    あとインパール作戦で玉砕した自分の叔父の話を涙ながらにしてくれた。
    [ 2009/07/19 11:53 ] -[ 編集 ]
    >>778
    これに似たような話を俺も祖父ちゃんから聞いたことあるな。祖父ちゃんは実家は空襲で焼けるまで神戸の商家の一人息子だったのだけど、空襲で家族が散り散りになってしまい一人で焼け跡に戻ってみると、使用人の朝鮮人たちが焼け残った家の骨董品を荷車に積み込んでいたって。
    何をしているのか聞こうとした瞬間、殴りつけられたそうだ。結局、そいつらは別の犯罪で警察に捕まったらしいんだけど。自分が生まれたころからいた使用人に殴られたのはよほど堪えたようだ。
    「朝鮮人に恩と言う言葉はないよ。そこに利があるかないかだけで動く人種だからね」

    [ 2009/07/19 12:08 ] -[ 編集 ]
    戦後に祖父が銃を作った話なら聞いたことがある。
    それで良く鳥撃ったりしてうわ何をするだァ許さアッー
    [ 2009/07/19 12:20 ] -[ 編集 ]
    アリアドネン活躍中w
    [ 2009/07/19 12:22 ] -[ 編集 ]
    何か書こうと思ったけれど、思いきり身元特定されるので辞めます・・・。
    [ 2009/07/19 12:30 ] -[ 編集 ]
    うちのじいちゃんは戦地に行く直前で戦争が終わったらしいんだが(頭が良かったから本国での事務仕事ばっかりやってて戦地に行くのが遅れたらしい)

    そのじいちゃんの軍隊時代のアルバムを見せてもらったら
    同じ部隊の人たちの写真があって
    「○○○君 ○○島○○○にて殉死」
    とかそんなのがずらーーーーーっと書いてあって
    戦争こえーと思った
    [ 2009/07/19 12:49 ] -[ 編集 ]
    今も昔も朝鮮人は世界の害虫でしかないなw
    [ 2009/07/19 12:51 ] -[ 編集 ]
    稀に見る良スレ。色々聞きたいのだけどどうも尻込みしてしまう。聞いてみるべきなんだろうか。
    [ 2009/07/19 13:04 ] -[ 編集 ]
    >>5は可哀想なやつだ
    [ 2009/07/19 13:09 ] -[ 編集 ]
    本文79
    >軍事機密を暴露した罪で軍法会議だから
    日本には「軍法会議」は形式上も制度上も存在しない。法律くらい知っとけバカ。
    [ 2009/07/19 13:23 ] -[ 編集 ]
    まちがえた
    >>59だ
    [ 2009/07/19 13:47 ] -[ 編集 ]
    うちの爺さん金持ちの妾の子だったが正妻が子供産まれなかったらしくて引き取られて結構な会社を継いだそうだが
    ぼんくらだったらしくすぐ潰れて墓石削ってたそうな

    その実の母親が美人だったらしい(うちの母曰く)
    ので爺さんの若い頃の写真を見るとイケメンだし今でもファッションに気を遣う
    だが孫の俺に受け継がれたのは運動神経の悪さだけだった・・・
    [ 2009/07/19 13:54 ] -[ 編集 ]
    おばあちゃんから聞いた話だが、
    戦時中に三重で関東・阪神大震災クラスの地震があったらしい
    地割れを避けて学校に登校したとか
    諸外国に国力低下を知られないため、一切報道されなかったとか
    [ 2009/07/19 13:58 ] -[ 編集 ]
    大正生まれのひいばあちゃんの話。
    ひいばあちゃんと言っても、本当はじいちゃんの姉さん。
    豪農で、女6人男1人兄弟の長女で、(末っ子がじいちゃん)
    婿をとったんだが、間もなくその旦那さんは招集され、南方で戦死した。
    骨も戻ってこなかった。
    軍服姿の肖像画があるけど、少年みたいだった。まだまだ若かったんだろう。

    ばあちゃんは生涯再婚せず、小さなお店を経営しながら、戦争未亡人として地域で活動してた。家がない人の面倒みたりしてたらしい。
    養子縁組をして、じいちゃんの母となった。
    自分で産んだ子こそいなかったが、いつも子どもや孫に囲まれてた。

    毎年8月15日には飛行機で東京へ出かけていった。全国戦没者追悼式だった。
    県の遺族会の代表だったらしい。

    寝たきりになって、亡くなって2年。
    ばあちゃんの子や孫として、戦争のこと、伝えていきたいと思います。
    [ 2009/07/19 14:02 ] YrGnQh/o[ 編集 ]
    チェコ機銃とMINIMIの下りは滅茶苦茶だろ
    [ 2009/07/19 14:09 ] -[ 編集 ]
    うちのばあさん(大正生まれ)は戦時中に挺身隊で舞鶴に行ってた。天パなばあさんが町を歩いていると憲兵が来て髪の毛の引っ張りながら「この時世にパーマネントとは何事だ!」と言ってきたらしい。
    兵隊は尊敬されたが憲兵は嫌われ者だったと言ってた。
    今の警察と同じで権力振りかざす連中は嫌われるんだね
    [ 2009/07/19 14:28 ] GDMnerkk[ 編集 ]
    うちのひいばあちゃんは戦争中から日本は負けると言っていたらしい
    国民にこんな苦しい思いをさせていて勝てるはずないと
    報道規制されてたとかいうけど案外騙されてた人ばかりでもないんだと思った
    [ 2009/07/19 14:33 ] -[ 編集 ]
    ※35
    昭和19年の東南海地震の時の話だな。
    家のばあちゃん(愛知)の話では、
    強い余震が繰り返されたので、
    寒い時期(12月)だったにもかかわらず
    しばらくの間は、夜は、外に蒲団を敷いて
    寝たらしい。
    [ 2009/07/19 14:41 ] -[ 編集 ]
    幕末の話とか凄いなw
    [ 2009/07/19 14:45 ] -[ 編集 ]
    ※13
    うちの爺さんも中国って言ってたぜ
    いまどきシナとか言っても通じないからじゃない?


    終戦間際に新聞記者してた曾爺さんが震電のテスト飛行見に行って、気持ち悪い飛行機と思ってみてたら車軸が折れたって日記に書いてあったな

    ばあさんが戦前~戦後に出版された料理本を版違いで何冊か持ってるけど、初版はハンバーグとかカレーライスとか多かったのに、版が重なるたびに大根飯とか国政がゆ?とか追加されていたのを見ると物悲しくなった
    [ 2009/07/19 15:08 ] -[ 編集 ]
    うちの曾爺さんは今の鹿児島県で有名な農家で、昭和11年の高額納税者番付に載ってる。豊田佐吉も載ってる。当時では珍しい選挙権があったし、色んな動物飼ってて、日本に2頭しかいない犬を飼ってたらしい。大きな家に住んでたということは、写真が残ってるから間違いない。だけど、今はその写真しか残って無い・・・
    写真に写っている爺さんが自分にそっくり。自分が驚いたくらい。
    爺さんは徴兵一ヵ月前に終戦になったから、戦地に行ってない。洋食が好きで、今でもおいしい洋食屋は無いか?と聞かれる。

    もう一人の爺さんは衛生兵として今のタイあたりに居たらしい。部隊名がわからんが、話の状況から太平洋戦争中期から末期にかけてと思われる。もう亡くなってしまったけど。
    [ 2009/07/19 15:17 ] -[ 編集 ]
    ※22
    あかつきじゃなくてあきつ丸では?


    [ 2009/07/19 15:31 ] -[ 編集 ]
    満州だったが忘れたけど、じいちゃんが行ってたな
    ソ連兵に捕まって捕虜になって、そんでもってどうにか逃げて帰ってこれた
    指揮官みたいな資格も持ってたらしい

    親戚も隣の兵と話してて突然喋らなくなったから隣見たら撃たれて死んでたとか
    その親戚船長だったんだけどね、詳しいことは知らないけど

    幕末は凄いな、わかんね
    ひいばあちゃん101歳でまだ元気だけど、何か話してくれるかね
    [ 2009/07/19 15:43 ] -[ 編集 ]
    やっぱり上の世代は大切にすべきだねぇ
    当たり前だけど平成に生まれてきたこと自体が幸せなんだな
    [ 2009/07/19 15:48 ] -[ 編集 ]
    ※37
    完全なデマだよねぇ。すげえ昔にバカサヨが流したなつかしいトンデモ説。
    [ 2009/07/19 15:49 ] -[ 編集 ]
    自衛隊員はあくまで公務員。そもそも軍法や機関が無い。

    [ 2009/07/19 15:52 ] -[ 編集 ]
    中帰連の話があるね。
    [ 2009/07/19 16:13 ] -[ 編集 ]
    うちの爺さんは物資運ぶ補給船にのってたからよく敵軍に狙われて船沈んだっていってたな
    沈没したのが3回で、上官は大体責任感からか脱出せずに船と命をともにする人ばかりだったといっていた。
    うち一回は泳いでたどり着いた海岸で他にも運よくたどり着けた人たちと、鉄砲も何もないのに米軍の戦闘機を撃つ真似して、逆に撃たれて危ない目にあったそうな
    悪運強いせいか死なずにたどり着いてるあたりがすごいけど
    東南アジアのほうに行ったりもしてるせいかあの辺の島の名前に詳しかったりする
    船の中はすごく狭い上に、長い間ずっとそこにいるから不衛生でたまにある雨がシャワー代わりになってたらしい
    船内の食事は波でゆれるからお茶碗の持ち方が特殊だった、自分はそれを見て小さい頃は無意識に真似てたらしく持ち方がおかしいとよく親に注意された

    リアル戦争体験が聞けるのは貴重なことなんじゃないかと思うよ
    [ 2009/07/19 16:16 ] Uh60rX9Y[ 編集 ]
    相変わらずの朝鮮人wwww

    まぁ、過酷な生活水準の国で育てばそうなるのは仕方ないのかもしれんね。
    [ 2009/07/19 16:28 ] -[ 編集 ]
    直接俺が聞いたわけじゃないが、うちのじいさんは戦車に乗ってたから生きて戦争から帰ってこれたって言ってたな
    [ 2009/07/19 16:28 ] -[ 編集 ]
    おれの爺さんもチェコ製の機関銃を使ってたそうだ

    ある日偵察に出かけたら中国軍が連隊規模で移動中だったんだと
    そんで機関銃を浴びせつけたらあっという間にパニックになって逃げちゃったんだって

    えらい爽快感だったそうだ
    [ 2009/07/19 16:32 ] -[ 編集 ]
    軍法会議とか言っちゃってるバカはどんだけ事情通なんだよ
    [ 2009/07/19 16:45 ] -[ 編集 ]
    祖母は新潟の方の地主(?)の娘で
    まだ幼い祖母が道を歩くと、農民は作業をやめて頭をさげたそうだ。

    でもマッカーサーの農地改革のせいで先祖代々の土地を失うことになって、
    祖母の母は、仏壇に土下座して
    「ご先祖様、土地を守れなくて本当に申し訳ない」と涙を流していたそうだ。


    どこまで本当かは分からん。
    [ 2009/07/19 16:53 ] -[ 編集 ]
    ※22
    暁って駆逐艦だろ
    もしあきつ丸と間違ってんならなら、それは陸軍だ
    [ 2009/07/19 17:03 ] -[ 編集 ]
    母方の爺さんの話
    中国に送られていたが、負傷したので東京にの陸軍病院まで戻された
    入院しているときにいいところの長男だったのでお見舞いに家族、親戚、実家の近所の人、家業の付き合いのある人やらわんさかきたらしい

    それを見た衛生兵が「戦場でたいして役に立たないで戻ってきたのに羨ましいですね」とか戦場にも行ってない奴がバカ言ったから殴って鼻折ってやったとか言ってた。
    [ 2009/07/19 17:07 ] -[ 編集 ]
    俺の家、函館へ北上中の土方歳三が寄ったらしいよ

    一応今でも土方に出した盃と一筆書いてもらった紙?がある
    [ 2009/07/19 17:11 ] -[ 編集 ]
    中帰連のレスは削除した方がいいよ。731部隊や南京と同レベルの捏造だし。

    コメ>48
    そのあたり戦後からずっと問題視されてるよね。軍法会議すらないから一般裁判にかかるしかない。んで秘匿ダダ漏れ。
    いい加減まともに法整備しろよと。
    [ 2009/07/19 17:23 ] -[ 編集 ]
    軍法とかはないけど自衛隊法ならあるよ。
    外部に秘密だの機密だの漏らすと罰せられるとか。
    最悪免職だけど、普通は減給とか、昇進に影響するとか程度。
    まぁこんなんは自衛隊だけに限らないだろうけどね。
    [ 2009/07/19 17:48 ] -[ 編集 ]
    近所のお婆さんが母親から聞いた話しを聞いた話しだが
    幕末に上方から江戸に上がってきた侍は夫婦子連れが多かったそうな。
    で、明治になっちゃって仕事(戦?)がなくなっちゃったら
    帰り道(or行く途中)に子供を養子に出してしまう人が多かったらしい。

    ***********************************

    別の近所のお婆さんから聞いた話し。
    飛行場で働いてたら突然の敵機来襲!!!!
    それに気がつかず仕事してたら、工場長(お婆さんがそう言ってた)が
    「某さん、危ない! 逃げろ!!!!」って言われて
    命からがら逃げたんだそうな.
    空襲も終わり元に戻ると工場長が機銃でグチャグチャになってたらしい.... 。
    「忘れられない... 。」 って言ってた。


    そのお婆さんの旦那さんから聞いた話し。
    招集されて最後は北支で終戦を迎えたんだが
    仲間を何とか逃がすと上官二人がこう言ったそうな。
    「こうなってしまったのは我々の責任だ、俺たちはここで死ぬ。だから介錯して欲しい。」
    「お前はこれからのお国の為に生きろ」とも。
    いくら上官でもそれは出来ないって言ったんだけど
    結局はそうしてしまったらしい.... 。

    何でそんな話しを他人のオレにしてくれたのかは分からん。
    しかし死ぬまで忘れられない話しである事は間違いない。
    そしてその話しをしてたときの情景を文字にする事は
    今のオレにはできん。つらくとても重かったよ....


    こんな話しはいっぱいあるよ。
    おれも文字に書き留めておかないといけないな。
    [ 2009/07/19 18:22 ] -[ 編集 ]
    戦闘中とはいえ人を殺すってのは人によってケッコー記憶に残るみたいね。
    うちのじーちゃんも時々フラッシュバックしてガクブルってた。

    甲種合格なんてするもんじゃない、とかよく言ってた。
    [ 2009/07/19 18:47 ] -[ 編集 ]
    うちの爺さんは小卒で英・中・露が話せるようなバケモノだったけど
    戦時中は憲兵だったらしく当時のことは何も語らずに死んでしまったなぁ・・・
    [ 2009/07/19 18:52 ] -[ 編集 ]
    機関銃ワロス。チェコ軽機は車載機銃でコピーしてるよ。歩兵用のも96式で世界最高水準だしw

    だいたい、自衛隊の調達制度がいびつなのは財務省のせいだからw
    [ 2009/07/19 18:52 ] -[ 編集 ]
    うちの祖父は物資を運ぶ船(潜水艦?)に乗っていたらしい。
    前線に出ないから戦わなくていいけど、もし攻撃されたらすぐやられる運命だったとか。
    [ 2009/07/19 19:16 ] -[ 編集 ]
    婆ちゃんの話
    空襲があった時に戦闘機に機銃掃射かけられて、「ああ、これは死んだな」と思ったんだって でもその瞬間に観音様が見えて、弾が全弾外れた 「観音様が助けてくれた」って言ってたな

    やっぱ農地改革の話ってそこそこあるんだな 俺の母方の家の土地も十分の一ぐらいに減らされたそうだ 
    [ 2009/07/19 19:21 ] -[ 編集 ]
    本文で軍法会議とか無知を晒しているやつは、愛国者気取りで告発しているつもりの能なし。この手の無能な働き者が一番たちが悪い。
    [ 2009/07/19 19:28 ] -[ 編集 ]
    婆ちゃんが満州の大連に居たときに戦艦陸奥に乗ったことがあるらしい。
    マジでうらやましかった。
    [ 2009/07/19 19:55 ] -[ 編集 ]
    何で秘密のはずの自衛隊の銃の性能を知ってるんだよw
    知ったかは恐ろしいな
    [ 2009/07/19 20:32 ] -[ 編集 ]
    母親が伯父さんに聞いた話です。
    当時中国大陸の最前線(南京)に伯父さんがいたそうです。
    最前線なので、自分たちの前に日本兵は居なかったのですが、進んで行くと人々が殺されており日本の旗がはためいていたそうです。
    [ 2009/07/19 20:45 ] -[ 編集 ]
    実の祖父母はぎりぎりで戦争に行かなかった。
    大正生まれの父方祖父は教員やってたので、戦争には行かなかったが、軍隊で訓練はしたらしい。背が高くて(180ちょっと)皆がお古を着てるのに祖父だけが新品だったそうで、皆に羨ましがられたと自慢げに話していた。

    母方祖父は兄(25くらいだった)を特攻隊でなくし、自分もそろそろお鉢が回ってくるかもしれないと覚悟し始めていたときに終戦となったらしい。

    父方祖母は田舎のお嬢様だったので、あまり苦労はしなかったらしいが、兄が海軍に取られて死んでしまったらしい。

    母方祖母は修学旅行でお伊勢参りに行くはずだったが、行く直前に太平洋戦争が始まったため、お流れ。当然積立金もパアだったそうな。

    ****
    さて、職業柄年寄りと話をするので聞いた話をちょっと。

    Aさんというお爺さんから聞いた話。Aさんは今のミャンマーやフィリピンに戦争に行ったらしい。泰緬鉄道建設にもちょっと携わったらしい。終戦前、フィリピンのとある島でアメリカの潜水艦が近くに来ているという情報がきたが、負傷兵がおおく兵力としてはそんなになかったが決死の覚悟で待ち構えていたが、潜水艦は素通りしてしまったそうだ。また終戦直前、フィリピンの東(西だったか?)の端の島まで追い詰められて、必死に戦ったが部隊で残ったのはホンの数人だけだったらしい。自分より若いもの、自分より年配で妻もいる子もいる人間があっという間に死んでいく様をみて、人間の命ははかない、尊いと沁みるように思ったそうだ。死ぬ覚悟だったが終戦のため生きながらえた。それからいつ死んでもいいと覚悟して生きてきたそうだ。
    そう覚悟してきたAさんは穏やかに亡くなりました。


    月並みだけど、戦争ってしちゃいけないな。
    [ 2009/07/19 21:01 ] -[ 編集 ]
    戦時中小学生だった祖父(現在70後半かな?)は今でも天皇が嫌いだと言っている
    理由は自分達がひもじい思いをしたのに天皇はご飯を食べてたからだそうな(だが実際はどうも違うらしい後述)
    戦争末期に吾桑とよばれる山間のど田舎に住んでたにもかかわらず
    さらに田舎の北にある県境の村まで疎開しにいったと言っていた
    そして疎開先についた日の翌日敗戦の知らせをきいた
    実際に敗戦したのは疎開決定よりも前だった
    つまり敗戦してるのに疎開したらしい

    で天皇嫌いの本当の理由は戦時下の異常なまでの上下関係の強制だとおもう
    ある日祖父が商店街にある書店へ本を買いに行った時、たまたまその書店に先輩がいた
    だが祖父はそれに気づかず目的の本を買って店を出ようとしたらその先輩に呼び止められて殴られ
    「おまんなに無視しよらぁ!!」と他の買い物客が大勢いる中で言われ
    さらに土下座までされたといってた
    これに限らず必ず祖父の昔話にはこの手の話が一個二個入ってくる
    ゆえにこれこそが本当の天皇嫌いの理由じゃないかと思う

    祖母はまだ戦時中幼くあまりに記憶にはないらしいが
    祖母と年の離れた姉は戦時中結婚したが
    お婿さんは結婚後数週間で戦地に行きもう二度と高知には帰ってこなかった
    その後祖母の姉はずっと一人で暮らし
    今も祖母の実家の離れで一人で暮らしている

    [ 2009/07/19 21:19 ] mQop/nM.[ 編集 ]
     小さな頃に良くしていただいた母方の親戚のおばあちゃんから
    子供の頃の話を聞いたけど、どんな話だったけ・・・・
    確か逃げ出した人が目の前で捕まったとかなんとか。

     そのおばあさんはもうボケちゃってもう何年も会ってな
    い。最後に法事で会ったときも自分の伴侶の死もわかってな
    かった。夫の名前だけはしっかり覚えていて、聞かれたら当
    然のように答えてたよ。
    [ 2009/07/19 21:25 ] -[ 編集 ]
    ウチの爺ちゃんから聞いた話だと、
    「爆弾が降って来た時、自分の頭の上で落下したのがわかったら、それは当たらない。
    逆に自分より斜め前で落下した場合は、自分の所に降ってくるから全力で逃げろ」
    とのこと。
    普段はそんな話しないけど、なぜかこんな話を12年ほど前にチラッとしてくれた。
    当時中学生だったからかな?

    そして今でも酒に酔うとこんな話をポツポツしてくれる。

    そんな爺ちゃんだが、戦時中は神風に召集されて青森(だったかな?東北の方だった気がする)に配属されて、
    「お前ら明日飛ぶぞ」
    って言われた翌日に8月15日を迎えて助かったらしい。

    その後ゴタゴタがあって実家に帰ってきたのは終戦から1年以上経ってかららしいが、もし1日ずれてたら俺も親父も当然生きてないわけで。

    日にちに関しては爺ちゃんが多少脚色してるかもしれないけど、タッチの差で飛んで帰ってこなかった仲間のことは忘れられないらしい・・・・・・
    [ 2009/07/19 22:15 ] -[ 編集 ]
    うちの爺ちゃん婆ちゃんの家の近くで二二六事件発生
    「あの日は寒かったねえ」
    「雪が降ってた」
    「そうだ雪降ってたから寒かったんだ」
    歴史上の事件を世間話みたいに言わんで下さい
    [ 2009/07/19 22:15 ] -[ 編集 ]
    うちの祖父は学生時代、神戸の軍事工場に勤めてた
    米軍の機銃掃射が始まったら、丈夫な石橋の下に走って逃げ込んだらしい
    走るのが遅かった同僚が撃ち抜かれたのを見たんだと
    広島に原爆が投下された時、光が見えて音も聞こえたって言ってたけど、本当かな
    [ 2009/07/19 22:55 ] -[ 編集 ]
    >44
    >56
    すまん、56の言う通り駆逐艦「暁」立った。かあちゃん(祖父の長女)に聞いて確認した。どうも空母の「赤城」と混同してたみたいだ。指摘㌧
    [ 2009/07/19 23:11 ] -[ 編集 ]
    戦後おれのじいさんが会社に泥棒がくるから夜間警備?みたいなことをやってたらしいんだが
    一緒に警備していたのが元憲兵だったらしく泥棒はあっという間にねじ伏せられてしまったそうな
    やはり訓練を受けた人間には敵わないなと思った話だ
    [ 2009/07/19 23:16 ] -[ 編集 ]
    落語家の柳家小さん氏は2.26事件で実際に現場に居たそうですね。
    もちろん鎮圧側ですが。


    私の祖父の話し。
    戦前は満豪開拓団で満州に渡りすごい裕福だったそうです。
    仕事は現地の満人と朝鮮人にまかせて、朝から酒飲んだり、猟に行ったりと
    遊びが仕事になってたそうです。
    で、これ書くと荒れそうだけど、祖父が実際に喋ってた事なんで書きますが
    朝鮮人は誰もいなくなると直ぐにサボったり手抜きしたりするので
    大嫌いだと言ってました。
    満人は真面目で働き者だったとも言ってましたね。
    仕事もしないでなにいってんのって感じですが。w
    帰って来る時にその満人に土地から何やら全部あげたと言ってました。

    冬になると戦車が川の上を走ってたとか
    小便がそのまま凍るとかも言ってたです。


    [ 2009/07/19 23:23 ] -[ 編集 ]
    ウチの祖父母は特にそういう話がないなあ
    疎開先になるような田舎だったから、戦争の話も全然聞かない
    [ 2009/07/19 23:27 ] yOvu0X1A[ 編集 ]
    家の爺さんは戦艦日向の偵察パイロットだったらしいが
    戦時中偵察に出てそのまま行方不明で
    戦死あつかいらしい・・・・
    [ 2009/07/19 23:30 ] -[ 編集 ]
    うちの母方のばっさまの家は戦時中では珍しいけどラジオがあったらしい だからラジオ体操(的なもの)のときはばっさまの家からコードを繋いで繋いで、で広場に音を提供してたらしい
     あと、高校一年のときに軍人さんと仲良くなったらしい。子供が好きで歌も教えてくれたそう
    ばっさまの家の前は軍用道路だったみたい
    いらんな軍人さんに友達と作った人形さんを上げていた

    仲良くなった軍人さんはもうたぶん亡くなってると思うけど何処の出身かわかってるからきっと遺族の方がいらっしゃるはず 一緒にいこうかなあ・・・
    [ 2009/07/19 23:34 ] -[ 編集 ]
    うちの父方じいさんは頭が良かったおかげで満州の後方で衛生兵をしてたそうな。
    牛丼とか美味い食い物もあって正直楽しかったらしい。
    ただ、戦後シベリア送りなって、収容所まで最寄り駅から何㎞も豪雪のなか歩いたとか、途中薪を拾って暖をとろうとしたら、ソ連兵に暴動と間違われたとか、オーロラを見たとか、言いかげん呆けてきた今でもそういう戦争にまつわる話しだけは淀みなく話せる。
    それだけ深く刻まれている記憶なのだろう。
    あと、母方の家は地主で、使用人もいたらしいが、
    戦後土地を取られてすっかり貧乏になり、母方の祖父はマッカーサーが大嫌いだったという。
    [ 2009/07/19 23:48 ] -[ 編集 ]
    うちのばあちゃんは、天皇陛下の終戦の言葉を聴いて
    小学校低学年だった二人の娘と、「もう防空壕に避難しなくてもいいんだよ、よかったねえ」と言って喜びあったそうだ。

    映像だとみんな正座して泣き崩れたりしてたから、意外っちゃ意外だ。
    [ 2009/07/19 23:57 ] -[ 編集 ]
    うちの死んだじいちゃんから聞いたけど
    戦場で野宿とかしてると青白い光が無数に飛んでたんだって
    それ見て怯えてる仲間をぶん殴って
    「怯えたら魂ごと連れて行かれるぞ!」って一喝したりしてたんだって

    でもじいちゃん
    一番怯えてたのはわしじゃったって笑ってた
    [ 2009/07/20 00:01 ] -[ 編集 ]
    ウチの場合、ロシアに捕虜にされてたって話があったな。
    戦争中にくらった弾の破片で喉が潰れ、掠れ声しか出ないじーちゃんだった。
    しかし、「あの露助どもは!」は何故かハッキリ聞き取れたw
    [ 2009/07/20 00:11 ] -[ 編集 ]
    ※79
    ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%AE%B6%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%82%93_(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
    反乱部隊の屯所に畑和(後の埼玉県知事)らとともに二等兵として詰めており、上官命令で落語を一席させられた。「子ほめ」を演じたが、反乱の最中で緊張でピリピリしている兵士達が笑うわけがない。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから」と返した。一兵卒として警視庁占拠にも参加している。


    思い込みはよくない
    [ 2009/07/20 00:20 ] -[ 編集 ]
    >>104
    >現在と余り感覚変わらないかも。
    いや、全然違うと思うよ。
    大正、昭和初期の喫茶店(カフェ)は今のドトールやスタバなんかとは比べ物にならないからね。
    当時最先端の思想やカルチャーの集まる場所だった。
    当時のリア充の中でもトップクラスのグループに属してるよ、この婆ちゃん。
    しかも場合によっちゃ相当な不良だったかも知れないぞ。
    [ 2009/07/20 00:26 ] -[ 編集 ]
    アメリカ兵が墜落して死にかけてたのを介抱したとか何とか
    結局ダメだったみたいだけども
    [ 2009/07/20 00:34 ] -[ 編集 ]
    南方行った人間は(過半数だっけ?)ほとんど死んでるから
    本当の地獄の話は出て来ないな。

    それはそうと祖父はシベリア抑留で何年も帰ってこれなかったそうだ。
    その祖父に戦争はクソだと教えられた。
    [ 2009/07/20 00:38 ] -[ 編集 ]
    江戸中期あたりまで遡れないもんかねえ。
    [ 2009/07/20 01:24 ] -[ 編集 ]
    人には優しくしろってことだよなぁ
    [ 2009/07/20 01:28 ] -[ 編集 ]
    伯父さん(60歳ぐらい)がコーラを日本人で始めて飲んだのは俺かもしれないって自慢してた。
    まだコーラなんて日本で発売されて無い頃、アメリカ人の子供が近所に居て、その子と遊んでいた時にご馳走になったとか。
    味についてはよく聞いてなかったが、まずいって言ってた気がする。
    [ 2009/07/20 01:33 ] -[ 編集 ]
    >陸自で30年以上も主力を務めた国産の62式機関銃が隊員泣かせの欠陥品として有名だったなあ。
    >故障が頻発したのに、抜本的な改善が最後までされなかったのは

    原因が弾丸にあったから。
    小柄な日本人に撃ちやすいように弾丸の火薬が減らされていたんだよ。
    [ 2009/07/20 01:45 ] mQop/nM.[ 編集 ]
    母方の爺は母が子供の頃に死んでる
    婆は沖縄生まれ育ちの90歳だから何か知ってそうだが
    ウルトラ方言&痴呆で会話できない…

    父方の爺は、俺が戦争に興味持てないほど小さい頃に死んじまった
    婆は顕在だが疎遠

    こういう話を直に聞いてみたかったなあ
    遠くない未来、戦争経験者が一人もいない国になるね
    [ 2009/07/20 01:50 ] -[ 編集 ]
    父方の祖父は、残ってる写真を見る限り陸軍の衛生兵だったっぽい。
    てか、父親が産まれたの昭和二十年一月で、祖父が亡くなったの昭和十九年七月っつータッチの差。

    母方の祖父は未だ存命。シベリア抑留帰りで、その手の番組は必ずチェック。
    …そして、当家の隣の奥さんは韓国の人でして…(近所仲は普通)、田舎からやってきて庭の花を見てた祖父に「韓国でひどい事してきた?」と!
    当時は韓国の反日教育をちょこっとだけしか知らなかったんで、家の中で話だけ聞いててびびった。
    祖父の答えは「中国さ行ったけど、韓国は行ってねぇなあ」。
    奥さん、微妙に納得してなさそうだったが「そお」と引っ込み、後に祖父「韓国ってったら、日本の子分だった国だっぺ?」だ、そうな…。
    あと、シベリア抑留中は「寒みい中、橋さ作った」とか「凍傷がひどくて、指が取れちまうのがいっぱいいたけど、おれはロシアの兵隊さんが手さこすってくれたから大丈夫だった」とか。
    [ 2009/07/20 01:59 ] ju/RQZJ2[ 編集 ]
    今も昔も朝鮮人にはそんな話しかないのかよ……。
    [ 2009/07/20 04:06 ] -[ 編集 ]
    コレは、本当かどうか確認出来ないが、昔の写真の様です。↓

    創×価学●会名誉会長 池×田大●作氏
    ttp://soejima.to/souko/visual_data/img20031213130040.jpg

    まるで....由緒正しい在日ヤクザのお兄さんみたいですね。後ろに
    舎弟を二人従えて、立派なヤー公じゃないですか。
    なんだか、高利貸しの取立て屋だったそうで。
    名刺には名前が.......

    大倉商事営業部長、池田..... このチンピラが後の日本人池田大作
    先生なんですかね。
    [ 2009/07/20 06:14 ] -[ 編集 ]
    親切な朴さんなんて所詮フィクションでございますよ。
    [ 2009/07/20 06:34 ] -[ 編集 ]
    日本男児の多くが戦死した、戦後の日本で、朝鮮人のレイプや強盗、殺人など彼らの蛮行は相当酷かったそうです。

    何故、戦前は「併合してくれ」と頼んで、日本にしてもらったのに、今あれだけ反日活動をしているのでしょうか。

    今、反日活動をしている人達は殆どが三国人と言われていた人達です。


    【靖国参拝に反対する活動家は殆ど朝鮮人】

    在日・帰化だらけの社民党

    福島瑞穂(→趙 春花、)

    在日には凶悪犯が多く、 帰化、在日ばかりの社民党は・・
    半島の利益になるように仕事をしているね。
    党首が帰化人ばかり。

    土井たか子→李高順(帰化前の本名)北朝鮮に親族多数

    五島昌子(土井の秘書)本名、渡辺昌子は通名、つまり、在日朝鮮人(元社青同活動家の話より)

    辻元清美(帰化人、赤軍派)
    筑紫哲也(→朴 三寿:元朝日記者、共産キャスター)
    本多勝一(→崔 泰英:「南京大虐殺」虚報の中共工作員記者)
    佐高信 (→韓 吉竜:極左評論家)
    福島瑞穂(→趙 春花、帰化前の本名:中核派)
    永六輔(帰化人。反日活動、言動多し)
    池田大作(→父:ソンジャンチョク、帰化人)  (在日への選挙権推進、韓国での反日活動の実績)
    麻原影晃・・父が朝鮮国籍。
    林ますみ・・(和歌山毒入りカレー犯人)在日帰化。
    宅間 守・・(大阪池田小学校大量殺人犯)朝鮮部落出身。密港在。
    織原誠二・・(英国人ルーシーブラックマンさん殺害犯)親が韓国。
    李 昇一・・朝鮮人の強姦魔。「ガキの使い」語り140人以上の女性をレイプ。
    金 保・・(少女強姦魔の牧師)在日
    酒鬼薔薇聖斗・・(東○一郎・神戸の首切り猟奇小僧)両親とも在日
    関根 元・・(埼玉愛犬家殺人犯)在日
    郭 明折・・韓国キリスト教の宣教師。連続強姦魔。被害者100人以上
    金 大根・・連続自動虐待の強姦犯。女児6名が死亡。
    金 弁植・・韓国の強姦犯。日本で主婦を100名以上レイプ

    ttp://hyperfavoritebooks.livedoor.biz/archives/50175518.html
    [ 2009/07/20 06:40 ] -[ 編集 ]
    銃くらい日本産が低品質でも別に恥ずかしくない。

    [ 2009/07/20 07:24 ] -[ 編集 ]
    あんまり言うとバレるが、ウチの親族が詩人・彫刻家の高村光太郎と千恵子夫人の馴れ初めに関与していたらしい。言えるのはここまで。最近ある筋から寺に連絡があってその伝手で判ったとか。残念ながらウチにはその親族関連の遺品は残っていないが・・・
    [ 2009/07/20 07:58 ] b5.M5V.g[ 編集 ]

    30年前くらいまでは中国人も朝鮮人もほとんどが
    「大日本帝国はありがたい」って言ってたんだけどね

    工作しようとしてる人らは日本人の寿命が30年ほどだと思ってんのかしら。
    [ 2009/07/20 08:35 ] -[ 編集 ]
    >>87
    スマン、以後気を付けます。
    [ 2009/07/20 08:45 ] -[ 編集 ]
    中学の時の先生づてに聞いた話だが
    当時富山から始まった米騒動だけど
    実際は主婦達が押し入ったわけではなくて
    陳情をしに行っただけだそうだ。
    当時女性がそんなことをするのが非常に珍しかったので
    マスコミが大きく書いたらしい。

    いつの時代もマスゴミってやつは・・・。
    [ 2009/07/20 09:12 ] mQop/nM.[ 編集 ]
    うちの祖母はお嬢様で、お父さんは満州の偉い役人か何かだったらしい(祖母も満州に居た)。
    百貨店に行って財布持たずに買い物してたって言うから本当にお嬢様なんだろう。
    戦中の話を聞いても、生活や食料に困った事は全くなかったらしい。
    戦後来た進駐軍は馬鹿ばかりだったと言ってた。
    レコードの聴き方を知らなかったとか、あと時計の巻き方をしらなかったとか言ってたわ。
    家で朝鮮人を何人か雇っていたけど、真面目でよく働く人だったらしい。朝鮮人は良い人ばかりだと言っていたよ。

    もう一人の祖母も良い所のお嬢様だったらしく、こちらも戦中戦後、苦労してない。
    でも原爆が落ちたときに、広島に居た。
    「ぴろぴろぴろぴろ~ って、光が波になって見えたのよ」って言ってた。


    [ 2009/07/20 09:44 ] -[ 編集 ]
    ・父方の祖母
     →ハチ公を渋谷駅で見たらしい。薄汚れた白犬だって話だった。
    ・母方の祖母
     →関東大震災のとき、中央線沿いに朝鮮人が攻めてくるぞ!というデマを耳にしたらしい。
    [ 2009/07/20 10:22 ] -[ 編集 ]
    朝鮮人のいい話ってここまで無いモンなの?
    [ 2009/07/20 11:19 ] -[ 編集 ]
    祖父の兄が特攻隊で丁度終戦の日に死んだ、って事しか知らない
    [ 2009/07/20 13:37 ] -[ 編集 ]
     戦争以外の話が聞きたかった・・
    [ 2009/07/20 13:56 ] -[ 編集 ]
    死んだ祖父は満州に行った軍医で、色々話を聞いたなあ。
    死後、細菌とかそのへんのどうこうって研究してたみたいな資料もでてきた。
    出身大学も出身大学だし、あの辺と関係あったのかなーとか今でもときどき考えるw
    [ 2009/07/20 14:13 ] VMZGbEbU[ 編集 ]
    曾祖父が満鉄関係で満州で生まれその後平壌に移った祖父。
    年下の朝鮮人に日本語教えてやったりしてた縁で、敗戦後安全に帰国できたそう。

    最近になって始めてそういう話を聞いた。帰国後結婚して生まれたオヤジも知らないことを聞くよ。
    当時の写真もあって、孫としてしっかり保管していきたいと思う
    [ 2009/07/20 14:50 ] -[ 編集 ]
    輸送船乗組員だったウチのじいさんの話、
    トラック島とかいう所で大和を見たそうだ。
    山みてぇにデカかったっていってた。
    [ 2009/07/20 18:14 ] lP/fV6kQ[ 編集 ]
    子供の頃は戦争してたのは大昔の事だと思ってたけど、今大人になってみて、たった60年くらい前に日本が戦争してたなんて信じられない。最近の話だよね。おじいちゃんおばあちゃん世代は本当凄い。

    [ 2009/07/20 20:36 ] -[ 編集 ]
    小さい頃はなぜか日本兵=悪党って思っててじいちゃんにひどいこといったなぁ
    本当に今思うと申し訳ない

    なんでそんな思考になってたんだろうなぁ‥‥
    [ 2009/07/20 21:35 ] -[ 編集 ]
    ※115
    日教組のせいじゃないかな?

    [ 2009/07/20 21:52 ] -[ 編集 ]
    >>72
    なにいってんだこいつwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
    [ 2009/07/20 22:09 ] -[ 編集 ]
    「下山さんは三越に行ってない
    あれは別人だ。」


    嘘だけど
    [ 2009/07/20 22:28 ] -[ 編集 ]
    ※112
    ウチの死んだじいちゃんも満鉄の技師

    背が高くてイケメンなんだが
    シベリアに抑留されたときにガチムチの女共産闘士の目に留まって
    肉バイブ係やらされたらしいwww
    [ 2009/07/20 22:36 ] -[ 編集 ]
    友人のウクライナ人の祖父(曾祖父?)が日露戦争で日本軍の捕虜になった話を聞いた。
    詳しい場所はわからないが、内陸部。
    食糧とか支給物資は最低限で、負傷者は体力が持たない者もあったようだが、負傷していない者の多くは戦後無事に帰国できたらしい。
    日本兵からの待遇そのものは厳格ながらも公正であったようだ。
    おかげで今自分がいると言っていた。
    ついでに、ウクライナ出身の兵士たちは士気が低く、危険性が高い戦場だとすぐに投降していたらしい。
    [ 2009/07/20 23:02 ] -[ 編集 ]
    「・・・俺は大東亜戦争の頃、大日本帝国陸軍大5連帯第二支部に配属された。そして、満州へ渡った。
    惨状あらかさで、俺は湿った地面に土豪を掘り、その間から、敵兵の軍靴を見ていた。
    空は真っ赤な夕焼けで、幾機かの敵軍機が飛んでいた・・・」
    [ 2009/07/20 23:49 ] -[ 編集 ]
    臆病者のハッタリばかりワロタwwww
    戦時中役に立てなかったから恥じる気持ちはわかる
    [ 2009/07/20 23:51 ] LL0X1x36[ 編集 ]
    >>シベリヤの鉄道作業の帰り道端に芋が落ちていたので大喜びで持ち帰り煮てみると、馬か何かのフンだった。

    うちの爺さんも同じことしてたぜwww

    朝になると、仲間が寒さで死んでたらしい。ロシアの兵隊は馬鹿だから人数を数える時、2列縦隊なのにわざわざ一人ずつ数えてたって。爺さん曰く2かける人数で良いだろとのこと。

    シベリヤから日本に帰る時、共産党に入るように言われ、帰るために嘘で入ると言ったが、最後まで嫌がった奴は海に落とされたって言ってた。

    あとNHKで以前放送されてたシベリヤ抑留は上官の話であって、大多数の兵士の話じゃないって言ってた。

    実際にはすぐに武装解除、過酷な環境と労働、僅かな黒パン。抑留者594000人、死者62000人。零下40度にいたる酷寒という現実は俺ってヘタしたら存在してなかったんだよなって思う。
    [ 2009/07/21 00:03 ] 4v4tQXxo[ 編集 ]
    うちの祖父の兄弟が地獄のインパールの生き残り。
    80代も後半のはずだがピンピンしてるし日本酒飲みまくり。
    片道20km離れたウチまで毎月チャリで遊びに来る。

    一度、戦中の話を聞いた。
    敵兵を何人も撃ち殺したこと、戦友が何人も撃ち殺されたこと。
    その発言には誇りが満ちていた。

    でも敵さんの火炎放射器(?)だかの最新兵器が出てくると手も足もでなかった、とか。

    その爺さんいわく、「蛇は御馳走。生きている物はだいたい食べた。」なのだそうな。

    そんな爺さん達の頑張りが俺らの時代の平和に続いていると信じてる。
    [ 2009/07/21 00:23 ] -[ 編集 ]
    うちの母方の祖父のお兄さんは中隊長で、アッツ島で戦死したらしい

    父方の祖父は北陸の方田舎住まいだったから、空襲には会わなかったらしい
    でも、夜は光漏れないようにして「こんなん意味ないだろうと思ってた」って
    ある夜、祖父が外にいると爆撃機が飛んでて
    「こっちに来ないといいなあ」と思ってると
    東の空が真っ赤に燃えてたらしい

    東には教科書にも空襲を受けたって書いてあるくらいの都市がある
    ちなみに、この当時祖父は3歳くらいで、それだけ衝撃的だったことを物語ってるね
    [ 2009/07/21 00:54 ] -[ 編集 ]
    じいちゃんは戦争中寒い方の国に行ってたらしいんだ(国名は覚えてないがロシアとか北のほう)
    仲間が戦死すると凍ってくんだってよ・・・暑いところと違って腐らないからそれだけが良かったってよ
    [ 2009/07/21 01:33 ] -[ 編集 ]
    曽祖父は憲兵少佐だったな・・・祖父から聞いたけど、風紀とかかなり厳しく取り締まっていたらしい。アカ野郎を片っ端からとっ捕まえていんだと。
    [ 2009/07/21 02:41 ] -[ 編集 ]
    脱字があった。いたんだと。でした。
    [ 2009/07/21 02:43 ] -[ 編集 ]
    >>79
    >戦場で1丁の機関銃が故障したら、一個連隊が危機に瀕する事もよくあるんだが、

    分隊(10人程度)単位で配備されている軽機関銃1丁の故障で、
    一個連隊(自衛隊の場合600~800人)がよくある危機?
    (単純計算で一個連隊だと60丁の軽機関銃がある)

    この時点で素人丸出しじゃねーかw
    [ 2009/07/21 02:47 ] -[ 編集 ]
    大陸に行ってた方の話によるとやはり虐殺の様な事はあった、との事。
    もちろん例の何十万人というトンでもな数なのはないだろうけど、民間人が協力してる事も多くあったから仕方なかったんじゃないだろうか。

    一人で馬で走っている時に川で現地の若い女性が洗濯をしていてニッコリ微笑みかけてきたそうで、用心してその場を去って振り返ったら敵兵が数人その辺りに現れていた…とか、そんな話をいくつも聞いた。

    戦争の話は任地によってそれぞれ色んな話になるんで、みんな自分の爺さん毎に全く違う戦争のイメージになるようだが、大陸の満州以外の地に行っていた人の話は特に血腥いと思う。
    [ 2009/07/21 02:52 ] -[ 編集 ]
    厨房の頃に通っていた中学校の教師が、学生時代に溥傑と同じクラスだったと語ってくれた。
    寮も同室で二段ベットを二人で使い、夜遅くまで談話していたとか。

    あんな御時世で溥傑自身や、その兄も波乱の人生を送る訳だけど。
    少なくとも学生の頃の溥傑は年相応の幼さや夢を持った普通の子だったと聞かされた。
    とても優しくて気持ちの良い少年だったそうだ。
    切ないねぇ…
    [ 2009/07/21 04:17 ] -[ 編集 ]
    こんど爺ちゃんに話聞いてみようかな・・・
    [ 2009/07/21 05:36 ] -[ 編集 ]
    ウチの亡くなった祖父母は戦時中の話を聞いても
    よほど辛い目に遭ったのか答えてくれんかった
    亡くなってしまったのでもう永遠に謎
    [ 2009/07/21 11:10 ] -[ 編集 ]
    親戚にこんな話を聞いた事がある。
    幼稚園児の頃に聞いた話でうろ覚えなんだが聞いてくれ。
    戦後、うちの一族の何とかって人が消防士をやってたらしい。
    当時の消防士の制服は軍服と似ていたとか同じだったとか。
    それで列車の運転手に「親戚に食料を配りたい。乗せてくれ」みたいな事を言ったらしい。
    すると運転手は将校か何かだと思ったらしくヘコヘコしながらタダで乗せてくれたそうだ。
    そんでもって列車に大量の米などの食料を積み込み、親戚中に配っていたそうな。


    そして曾じいちゃんの話。
    関東大震災があったとき、当時東京にいた彼は被害にあった。
    それでビールを運ぶ貨物列車(サッポロビール?だったかな?)に忍び込んで実家まで帰ったそうなw
    もちろんビールを飲みながら
    [ 2009/07/21 11:39 ] -[ 編集 ]
    なんてタイムリーなスレ。
    大学のレポートに使わせてもらうわ
    [ 2009/07/21 12:29 ] -[ 編集 ]
    曾ばあちゃんが言ってたんだが
    曾ばあちゃんの実家は田舎中の田舎ではあるが、大地主だったらしく、兄弟の誰もまともに働いたことなかったそうな
    ただ末弟が趣味で田畑作業してたけど、父親から「そんなのは小作人にやらせとけばいい」とかそんなこと言われてたらしい
    けど、終戦後の農地改革で土地のほとんどを取られてパー
    末弟の人が趣味でやってた田畑だけが残ったそうな
    [ 2009/07/21 14:31 ] -[ 編集 ]
    母方の爺様が第二次大戦中に済州島へ砲兵として派遣された時の話。
    近隣を航海してきた敵艦に砲撃する任務だったが、終戦まで一隻も来なかったw
    お陰で平穏な暮らしができたと。平和なものだから地元住民とも仲よく付き合っていた。
    畑仕事を手伝って豚や野菜を貰ったり、支給された日用品や煙草なんかをあげたりしていたらしい。

    終戦になって引き上げる時にも、地元民が別れを惜しんで大量の土産を持たせてもらった。
    当時としては貴重な黒砂糖の大きな塊とか食糧なんかを大袋に満載して戻ってきたのはいいが…
    毎日腹一杯食べて血色豊かに肥え太った爺様を見て、家族全員呆れたそうだw
    [ 2009/07/21 14:53 ] -[ 編集 ]
    かっこいいもの好きの俺としては戦闘機乗りのじいちゃんがいたやつらが羨ましいぜ。
    [ 2009/07/21 14:59 ] -[ 編集 ]
    俺の婆さんは秋田なんだが、終戦前日に近くの港でかい空襲があって家に焼夷弾が落ちたらしい。
    運良く不発だから助かったと言っていたが、その空襲でなくなった人はかなりの数になった。
    遺体は海岸に集められて、それはもう酷い有様だったと。
    あと立った1日で終戦だったのに。
    そして婆さんは戦争が終っても暫くは飛行機が飛んでくると「B29だ!隠れろ!!」って物陰に這いつくばって隠れてたらしい。
    これは婆さんが死んでから大叔母さんが笑いながら話してくれたんだけど、それだけ怖かったんだろうなと複雑な気持ちになった。
    [ 2009/07/21 16:40 ] -[ 編集 ]
    5年位前だが、
    じいちゃんと母が支笏湖に行った時、
    学校の先生だったじいちゃんが、
    「懐かしいな。生徒を連れて遠足に来たよ。自転車に乗って。」
    と話していたらしんだけど、突然、
    「なんだ?あの山は。前に来たときは無かったぞ。」
    と指差した山は昭和新山・・・・・。
    [ 2009/07/22 23:58 ] -[ 編集 ]
    中国行った爺さんが餃子とか食いまくって嫌いになったって言ってた戦場だと死人の肉喰ったらしいな..... 生きるって何なんだろうな
    [ 2009/07/23 11:07 ] -[ 編集 ]
    ※139
    日本で最後にあったって言うあの空襲か?

    うちの爺ちゃん婆ちゃんも秋田出身で、空襲のあった場所からはちょっと離れた場所に住んでたんだが・・・夜なのに昼みたいに明るかったって言ってたな。
    でも次の日海に死んだ魚が大量に浮かんで皆で取って食ったとも言ってたな・・・・。
    [ 2009/07/23 13:47 ] -[ 編集 ]
    祉央「関東大震災で江戸の風水の要たる将門公に関係する寺社を燃やそうとしたよね?相当数が死んだけど失敗した訳だ。」

    天魔道鏡「天海和尚は私が崇徳さんを京都の守護者にしようとの計画を模倣して江戸を作り、鎖国が武力で解除される未来を予見して皇室が来る事で江戸の風水が機能するようにした。京都こそが皇室に相応しい土地であり模倣した江戸に負けるはず無い。」

    祉央「出来なかった八つ当たりを朝鮮人にぶつけて惨事を広めての計画も不発でしたな。マトモな警察官に止められた。」

    天魔道鏡「その当時の警官も今の朝鮮人を見て死後後悔してるそうですよ。あんな連中を助けるんじゃなかったとね。」

    祉央「一族根絶やしが嫌ならその言葉を吐けって脅したと自分は思う。」

    天魔道鏡「本当に私は信用されてないのですな。」

    祉央「天皇さんの怨霊を存在させたあんたを信じるの無理。」
    [ 2009/07/23 19:11 ] -[ 編集 ]
    >>218のように自分だけの狭い世界が、全世界共通の認識だと勘違いしてる人って…憐れ
    [ 2009/07/23 22:36 ] -[ 編集 ]
    ※144
    従軍記録ってのは凄く詳細に残ってるんだ

    「どこから汽車に乗った」とかまでな

    従軍した「日本人」の親類が居れば常識なんだがな

    なんせ日本政府が送ってくるんだぜ?
    ちゃんと原本と照会もできるしな
    なによりそれ見た爺様が「合ってる」と言うんだ、間違いないよ

    あと民間人に手を出したら基本厳罰なんだよ
    婦女暴行かなんかで処刑された人が居る、たった一人だけどね
    公式記録にも残ってる

    当時のイギリス大使が「南京」から「あいつらマジ紳士www」なんて手紙を送ってたりする
    こういう事だよ

    この手の問題は分かってる事実を並べるしかないんだが

    そうすると圧倒的に日本有利なのよね
    東大や京大の先生らが調査チーム作ってやってるけどね
    第三国のデータを調べても「日本軍の悪行」は出てこないんだわ

    支那朝鮮が「日本軍は悪」というイメージを叫び始めて30年位か
    ※144みたいなのが量産されるんだなぁ
    [ 2009/07/23 23:41 ] -[ 編集 ]
    うちのじいさんも中国行った
    黄河がばかでかくて感嘆したらしい
    そんで、その黄河が倍以上の幅になって、すげー洪水になったらしい
    人やら家畜やら、次々飲み込んでいって、
    戦いよりもここでのことが一番死ぬと思ったらしい
    ちなみにじいさんは農家の家の出だったせいか、中国の農作物にすごい興味があったらしい
    終戦のとき、バナナの苗を分けてもらったが、雪国で育たないよなーと思いながらももらい、やっぱり、雪で枯れてしまった
    [ 2009/07/24 02:59 ] -[ 編集 ]
    うちのじいさんたち曰く、戦時中は近所に2軒朝鮮人が住んでいる家があったらしく、うちの周辺の中でも親切だとか働き者だとかで名が通っていたらしい。

    ただ一方でじいさんが中国やら南方に派兵されてたときに一緒について来てた朝鮮兵は随分といい加減で、上官たちが手を焼いたとも言っていたな。

    [ 2009/07/24 04:53 ] -[ 編集 ]
    >122
    先人の世代との断絶を図ると言う日教組の目論見の生きた成功例だな。
    [ 2009/07/24 08:18 ] -[ 編集 ]
    >122
    自分の頭の中にあるものが、偏見と卑屈と差別が固まってできたただの毒物だって早く気付くべき。
    [ 2009/07/24 16:12 ] -[ 編集 ]
    何だろう…
     
    何か感動した。
    [ 2009/07/24 22:00 ] -[ 編集 ]
    うちの爺ちゃん、配属された先の広島で被爆した。
    爆心地からほんの2~3kmにしたらしいけど仕事サボって、建物の中で昼寝してて助かったと言ってた。
    目が覚めたら焼け野原になってて、死体の処理とかしてたらしい。

    終戦後、地元に帰ったら近所の人とか家族とかが爺ちゃんは絶対原爆で死んだと思ってたらしくて驚かれたそうな。
    [ 2009/07/25 14:05 ] -[ 編集 ]
    ※146 国民党軍の黄河決壊作戦にいあわせたのだったら
    貴重な体験だよ。
    ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    しかし中国軍も自作自演をやりまくって
    全部日本軍のせいにするから困る。
    [ 2009/07/25 15:34 ] -[ 編集 ]
    もう亡くなったが祖父は潜水艦乗組。トラックで「大和」の風呂を借りたって話していました。
    で、仲間と一緒に「主砲を見に行こう!」という話になり・・・。 
    見事仲間たちと一緒に迷子になりましたとさ。
    [ 2009/07/25 20:46 ] -[ 編集 ]
    うちのじいちゃん陸軍士官学校って所を首席で卒業したらしい。

    いまはお金もらって不便なく暮らしてる
    [ 2009/07/26 00:18 ] -[ 編集 ]
    こういうスレには確実に
    アレ系に洗脳された正義感を気取った日本人が
    微妙な嘘レス捻じ込んでくるからねぇ・・・・


    一度でいいから、韓国人や漢民族と一緒に仕事したり
    留学生と交流持ってみろと言いたい。
    どういう連中か分かるから。
    [ 2009/07/26 07:12 ] -[ 編集 ]
    米155
    お前が接してきたのはエリート連中だからな。
    俺の働いてる工場にいる韓国人・中国人と会わしてやりたいわ。
    [ 2009/07/27 05:18 ] -[ 編集 ]
    この中の何人が本当の事言ってるんだかw
    [ 2009/07/28 01:26 ] -[ 編集 ]
    うちの爺ちゃんは中国に戦争で行ったけど前線じゃなかったので戦闘一回もせずただ駐屯してただけだったらしい。
    現地の人とも仲良くやってしょっちゅう釣りに行ったりして満喫してたんだそうだ。
    終戦になって、嫁貰ったばっかで徴兵されてきてた爺ちゃんを上官が優先的に帰そうとしてくれたのに「釣り楽しいし他の人先帰らしてあげて」って言ったらブン殴られたって話をしてくれたw

    もう片方の爺ちゃんは徴兵されなかったんだけど空襲で家と職場(病院)合わせて計5回焼かれた。戦後占領軍の兵隊さんが何か足りないものはないかと病院に様子を見に来てくれたときに靴を脱げ!って怒鳴りつけた挙句「まい びゅーてぃふる ほすぴたる わず ぼんぶど ばい ゆあ ぷれいん」と言い放った。
    でもその兵隊さんはその後何度も来てくれて随分親切にしてくれたらしい。
    [ 2009/08/03 00:44 ] -[ 編集 ]
    >79
    大嘘つき!!
    自衛隊に軍法はない
    軍ではないからだ
    民間人と同じにばっせられるだけ

    [ 2009/08/10 19:40 ] -[ 編集 ]
    うちの爺ちゃん戦時中小学校くらいで、勉強できずに畑耕してたってよくぐちってる。
    あと、戦時中はこぎゃん上等なもん食えんだったとかいってなんでもよく食う。天皇は嫌いっぽい。理由はわしらが腹へっとるときに栄養あるもん食っとったけん。だってさ。こんど塩辛でも買ってこようと思う
    [ 2009/09/26 00:04 ] -[ 編集 ]
    日本軍の悪事なんてないよ
    レイプもしてないし、無用な殺人もしてないよ
    当時の各国の公式記録に残ってる

    東京裁判でもレイプや虐殺という、一番なすりつけ易い罪を
    なすりつける事ができなかった

    朝鮮人を呼んで「あなたは日本軍に売られてレイプされてましたね?」
    と聞いても
    朝鮮人は「親に売られました、開放されてもまた捕まって売られます
    レイプはされていません、自分で娼婦になりました、
    それなのに高待遇すぎて申し訳なかったくらいだ」

    なんて証言してる

    問題は
    退去する日本人を犯して殺した支那人

    荒廃した日本本土で子供から老人まで犯して殺した朝鮮人

    民間人をターゲットに何十万人と爆撃で殺したアメリカ人

    戦後統治の名目で6万人強の少女をレイプ殺人した連合軍所属の進駐軍

    こいつらとその子孫が必死で「日本は悪かった」と言い放ち
    自分達の獣以下の悪行を隠そうとしてる事が問題

    日本は世界でタダ一つの「文明人」であったので
    世界中が共謀して自分らのレベルまで引き下げようとしてる

    戦後に生まれた世代はまんまとこの企みに乗せられてる訳だ
    [ 2009/10/10 06:08 ] -[ 編集 ]
    戦中戦後の話ばっかでつまらん
    >>1からするとそういうのだけを求めてたわけじゃないだろうに
    まぁ実際そういう話しか聞いてないなら仕方ないのか、つまらんけど
    てか案の定アレなのが湧いてるし
    [ 2010/02/20 09:53 ] -[ 編集 ]
    日本の銃は38式以外はまったく持ってだめだったらしいね
    今現在もアメリカ、欧州の猟友会みたいな所で結構な値打ちで出回ってるらしいよアリサカライフルで有名
    短所って訳じゃないけどリロードが普通のライフルと違う位
    長所は無いけどかなり扱いが簡単で命中精度も高いって
    [ 2010/06/07 17:50 ] -[ 編集 ]
    >※122

    自分を基準にして考えるのはよくないぞw
    [ 2010/07/04 14:35 ] KMkpPDwU[ 編集 ]
    この中にどれだけのホラ吹きが居るのかと思うとゾッとするなw

    ちなみに、俺の親戚の爺さんは満州に渡って農業で財を成したが嫁が結核にかかって志半ばで帰国。
    終戦直後のキムチ&ソ連に蹂躙されなくて済んだっていう平凡なお話だけw
    財を成したと言っても、田舎でそこそこの豪邸を建てただけで手元にそれほど残らなかったらしい。
    [ 2010/08/13 10:14 ] -[ 編集 ]
    >ひいばあちゃんが親(自分の曾祖母)から聞いた話。

    これがよく分からん。
    どう解釈して読んでも、この人間関係は矛盾があるだろ。
    [ 2010/09/05 04:12 ] -[ 編集 ]
    >>46

    そう考えるのもいいけど、
    俺は「今の日本は昭和の人間の死や苦労の上に成り立っている」と
    思っているよ。

    こう思える話は、水木しげるの戦記漫画にも多く載ってるよ。
    [ 2010/09/08 05:23 ] -[ 編集 ]
    戦時中の農民はクズだってのは俺の婆ちゃんも言ってな
    とにかくがめつかったらしい
    あと朝鮮人の部落は安易に近づいてはいけないとも当時からいわれてた
    あと学徒動員で工場で部品製造していてなれない作業なんで多くの人が指や腕を落したのを見たとか
    部品の検査官の軍人が常に見張っていて怖かったとか
    [ 2010/10/23 00:19 ] -[ 編集 ]
    予想どおりネトウヨの啓蒙活動wが混じってんのな。
    スレタイどおりの内容だけかいときゃ良いのに
    [ 2010/10/23 20:19 ] -[ 編集 ]
    昔の日本人もかなり豪放で適当な感じがする(特に戦時中)
    鬼畜な行いであったり、人を貶めたり殺めるような事が禁忌とされてるのは
    やっぱり親からの躾がちゃんと成されてるからなんだろうな
    それと仏教の教えが生活レベルにまで浸透してるのが強いのだろうか

    隣の半島に住んでる朝鮮人やら中国人とはやっぱり違うなと
    日本人に生まれて本当に良かったと思う部分ではあるよ
    [ 2010/10/24 13:33 ] -[ 編集 ]
    >・百姓は凄い量の飯を食べること。

    副食が乏しく、必要なカロリーをほとんど米飯で得ていたからだね。
    一日一升食うのも割と普通。
    [ 2010/10/25 17:19 ] -[ 編集 ]
    お百姓さんをバカにしてる書き込みは腹立つなぁ
    クズ野郎が
    [ 2010/10/25 21:20 ] -[ 編集 ]
    爺さんが、という事ではないが、
    旅順からの戦時郵便で、乃木大将からの手紙がある。
    モノ自体は書生をしてた親戚への書簡らしいけど。
    [ 2010/11/21 18:42 ] 382VQomQ[ 編集 ]
    うちのばあちゃんの話。
    太平洋戦争中に結婚したけど旦那は兵隊に取られて戦死。
    ばあちゃんは妊娠中だったんだけど、旦那の遺産は渡さん!と旦那側の親族が婆ちゃんを無理やり家から追い出した。

    その後に子供を生んだけど死産。戦後、婆ちゃんは魚屋と結婚し、再び妊娠したものの、二番目の旦那は病気で死んでしまい、その直後に俺の母ちゃんを出産。

    だから母ちゃんは父親の顔を知らないらしい。

    もうちょっと婆ちゃんから昔の話を聞いとけばよかったな…
    [ 2010/11/24 01:11 ] -[ 編集 ]
    なんで戦争スレになってんだよ
    [ 2011/01/15 08:56 ] -[ 編集 ]
    どのスレを覗いても朝鮮人は哀れだな
    [ 2011/02/04 03:34 ] -[ 編集 ]
    うちのじじいは中国とフィリピン?あたりに2度戦争に行ったそうだ
    無事に帰って来たから良いものの行きの一個前(何を指していたか分からない)の輸送船は撃沈されて全滅したり、
    病気にかかっても面倒見て貰えなかったらしく腹に穴開きそうだったとさ
    あとは、中国の子供に習字用の紙を上げたら喜んだとか

    もっと、聞いておけば良かったなあ
    [ 2011/02/10 09:32 ] abQfqC3w[ 編集 ]
    池袋には山の手が通るまで、なぁ~~~~~~んにもなかった
    元々、通す気すらなかったけど、目白駅が谷なので
    仕方なく平地の池袋で線路を曲げた。今では2番目の乗降駅(だったと思う)

    こないだBSでやっちょった
    [ 2011/02/18 22:18 ] -[ 編集 ]
    自分の婆ちゃん、戦時中海辺に住んでるし畑持ってたから食べ物にはあんま苦労しなかったらしい。
    ただある時婆ちゃんの妹が弁当に麦飯詰めて行ったら先生に怒られたとか言ってた。「他の子は芋飯なのに、贅沢しやがって」ってことだったって。


    あと母方の何代か前のご先祖は神社に生まれた双子の片方で、よその家に養子のような形で出されて育ったとか。
    自分のルーツについてちょっと聞くだけでも妙な話が出てくるもんだと思ったよ。
    [ 2011/06/05 18:51 ] -[ 編集 ]
    >>347
    >元小作人に聞いても誰も助けてくれなくて
    >元小作人に農地委員会に密告されて

    どれだけ普段から馬鹿にしてたかわかるな
    [ 2011/06/07 22:07 ] -[ 編集 ]
    ロシア兵の無教養ぶりは半端ないな
    [ 2011/07/24 10:29 ] -[ 編集 ]
    うちの爺さんの爺さんは埼玉県の川越市の地主?みたいな人で、かなり裕福だったらしい。
    戦後はマッカーサの土地改革?で一気に貧困になったらしい。
    [ 2011/08/10 18:15 ] -[ 編集 ]
    ギリ明治生まれのうちのばあちゃん(故人)。
    物心ついた時から戦争で田舎に疎開するまでは東京に住んでたとかで、浅草十二階の話とかすっげえリアルだった。
    ちなみに大叔母(ばあちゃんの妹)は東京在住時にデパガをしていたらしい。
    所謂モガってやつで、かなりブイブイいわせてたって。確かに歳とってもシュッとしててきれいな人だった。

    関東大震災も乗り越えたばあちゃんすげえ。
    だって明治・大正・昭和・平成と4つの時代生き抜いたんだぜ。すげえよ。

    そんなばあちゃんの旦那、つまりじいちゃんは自分の名前がどうしても気に入らなかったらしく、戦後のドサクサにまぎれてこっそり改名したそうだ。
    なんていうか…今の感覚でいうと厨二臭あふれる感じの名前にしたんだが、どんだけ嫌だったんだよじいちゃん……。
    [ 2011/08/11 13:30 ] -[ 編集 ]
    こんな雄雄しい話ばっかりの中でアレだがギリ明治生まれの父方のじいちゃんは戦争に行きたくなくて検査前に醤油飲んで徴兵免れたとか、ボンボンだったから戦後もばあちゃん働かせて自分は愛人囲って遊んでたとかそんな話しかねぇw
    ばあちゃんも元々はじいちゃんの弟と結婚予定だった(こっちは南方に出征して戦死した)けど弟が先に結婚する訳にはイカンっていってウチのじいちゃんと結婚させられたとか。

    母方のばあちゃんは詳しくは聞いてないけど満州に行ってたらしい。
    感想聞いたら「超いい所だったわー!」って感慨深げに言ってたw

    んで、掛かりつけのお医者先生は衛生兵かなんかで戦地に行って死にたくても死ねない重傷兵を看取ってたって。
    [ 2011/09/18 05:41 ] -[ 編集 ]
    明治・大正・昭和って戦争してたんですか?
    どうか教えてください。
    [ 2011/11/02 17:12 ] -[ 編集 ]
    ※138
    飛行機乗りには惚れるなって歌があってだな...
    いつどこで死ぬかわからんからだそうな。

    ※161
    ここ見りゃわかるがその企みは失敗だろ。
    案の定小作員が湧いてるが。
    [ 2011/11/20 22:38 ] -[ 編集 ]
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